ロイ・マスタングはベッドに横たわり、天井を見上げていた。

・・・と言っても、現在の目の状態ではただぼんやりと灰色の空が広がるばかりだ。


窓が開いている。

乾いた秋の風がカーテンを揺らしていた。








彼の 夢を 見た




「・・・エドワード。」

ロイは久しぶりに声を出した。酷くしゃがれ、ひび割れた声だ。
こんな風になってしまった声で、あのうつくしい名を呼ぶのは少し可哀想に思えた。
あまりにも彼に不似合いな気がした。



思い切って腕を動かし、渾身の力を振り絞り、首にかけていたチェーンを外した。
小さな赤い石の埋め込まれたネームタグをしっかりと右手に握りこんだ。

こんな動きにさえ体力を使い果たしてしまいそうだ。
やれやれ、このポンコツには困ったものだ。

そう思ってロイはふと肩の力を抜く。


ずっとわき目も振らず必死で働き、恋も・・・いや、まぁ、恋は色々と経験したが・・・、結婚などする暇もなく駆け抜けた。気が付けば50を過ぎており、今更と面倒になってしまい結局独身を貫き通すことになった。
軍を退いてからは気ままな隠居暮らしだ。
錬金術の弟子を数人抱え、彼らの術師としての、そして人としての成長を見守りながら、自らの衰えと戦ってきた。そんな暮らしがもう十数年。

少しでも・・・それこそ、一分でも一秒でも長く生きる。

それが、エドワードにしてやれる最後のことだと分かっていたからだ。



「・・・エドワード。」

どこにいようとこの声が聞こえていないはずのないエドワードから一向に返事がない。
ロイは焦れてもう一度呼んだ。
それでも、返事は無かった。




何をしている、あの薄情者は。
ああ、もういい。あと10数えるまでに姿を現さなかったら絶交だ!
生まれ変わってもお前となど一緒にいてやるものか。
大人気ないとでも何とでも言うがいい。決めたぞ。いいな?

いち、に、




「わぁーーーーかったよ、この偏屈じじい!来りゃあいいんだろ来りゃあ!」

けたたましい声と同時に、ロイの視界の端に金色の風が吹き込んだ。
しかしそれはベッドの側ではなく、部屋の片隅、窓の側に留まったようだった。

「そうだ。・・・まったく・・・どうしようも、ないな。この、馬鹿者は。」
ロイは途切れ途切れだが、はっきりと話した。
「病床に就いてからと、いうもの、・・・一度も見舞い、に、来ないとは。共にアメス、ト、リスの、双璧と、・・・・・・呼ばれた、相棒に、対して・・・薄情、だと、は。思わないの、か。」

「おい、無理すんな。」
話しながら呼吸に雑音の混ざり始めたロイに、エドワードはたまらず駆け寄ろうとし、ロイの拳からはみ出ているチェーンが何か気付き、そこで立ち止まってしまう。突っ立ったまま俯き、ロイの姿を視界に入れまいとした。

零れそうになる涙を必死で押し込め、それでも条件反射のように言い返す。



「だから、こうして見舞いに来てやったろ?土産はないけどさ。」

・・・見舞いとは請われてようやく行くようなものなのか?

「いや、遅くなったのは悪かったけど・・・。」

君にはもう少し自発的に人に対して思いやるという行動を取ってもらいたいね。特に私に対しては随分と不足しているように思うが?

「え、んなことねぇって。オレはいつもやさしいぜ?」

私の100万分の1ほどだがな。

「あんたのどこがやさしいんだよ。やさしいのは女に対してだけだろ、しかも上っ面だけ。」

おや、あれほどやさしくしてやったのに。

「いっ、いつの話だ!」

さあてな、こちらは偏屈な耄碌じじいだから忘れてしまった。

「くっそ・・・揚げ足取りやがって。いいじゃんかよ、もう。見舞いには来たんだし。」

・・・見舞いではないだろう。

「何がっ・・・・・・」



と、顔を上げた瞬間、エドワードはようやく違和感に気付いた。
あれほど辛そうに一語一語言葉を繋げていたロイが、どこからか普通に、いつもの流れるような毒舌を披露している事に。
声も、いかにも老人然としたしゃがれ声ではなく、いつのまにか昔の声に戻っていた。
あの、低く甘く、しかし決して柔らかくはない、自信に満ちた声。

エドワードや部下たちを引き連れて誰よりも前をいつも歩いていた。決して護衛を盾にして歩くような事をしなかった。

あの頃のような声だ。きっと何百年経とうと忘れる事など出来そうにない、声だ。



・・・見舞いではないだろう?エドワード。



ロイは、もう言葉を発していなかった。
瞼が少しだけ開いている。しかしその瞳は何も映してはいないだろう。



・・・こういうのは、看取りに来た、というんだ。



エドワードだから話が出来た。
声を発せないロイの意思を「世界」が翻訳し、エドワードに伝えていたのだ。



「・・・そうだよ。あんたを看取りに来たんだ、ロイ。」



エドワードはそこでようやく横たわった老人の手を取った。
やせ細り、骨ばっても、堅く堅く握り締められた拳を。
温かな雫に濡れ、一時の潤いを得たその指を。



エドワードが見舞いに来ない理由はロイにも良く分かった。
病み衰えた自分の姿をエドワードは見たくなかった、いや、見ることを恐れたのだろう。
それでも呼ばずにいられなかったのは・・・エドワードを苦しめると知っていて呼ばずにいられなかったのはきっと、偏屈な老人の我儘だ。
エドワードの血液から作られた石を、エドワード自身に返す。そんな大義名分は通らない。弟子にでも託しておけば良いだけの話なのだから。


これを君に渡さなければと思ってね。・・・これには何度も助けられた。


拳が少しずつ緩んでいく。
エドワードの目の前に、ロイ・マスタングの名が刻まれたネームタグが現れた。
軍人がこれを仲間に渡すということがどういう意味を持つか。
勿論それを知らないエドワードではない。


預かっておいてくれ。いずれまた取りに行く。


「・・・・・・へ?」


予想外の言葉におもわず間抜けな声を発してしまった。
ククッと小さく噴出す声がする。すぐそこにある薄い胸は、ほんの少しの筋肉の収縮さえ感じさせないほど、ただ静かに浅い呼吸を繰り返しているというのに。


なんだ、もう忘れたのか。実はお前も耄碌しているんじゃないのか?
言っただろう、私は死のうと生まれ変わろうとまたどうせすぐお前とつるんでいるんだろうと。
何年後になるのか知らないが、取りに行く。
それは私の物だからな、大事に保管しておくように。


相変わらず、自分勝手な発言を当たり前のようにする。
それが本当に、余りにも、相変わらず過ぎたので、エドワードはぼろぼろと涙をこぼしながら、嗚咽なのか笑い声なのか、自分でも判別できない声を上げた。


「あはっ・・・、は、はっ・・・。ロ、イっ、あ・・・、はっ・・・あんたって、ホント・・・っ・・・。」


本当は、死ぬな、逝くな、と言うつもりでいた。
・・・いや、そんな事を言っても意味はないということは知っている。
しかし自分はそれを言わずにいられないだろうと、エドワードは思っていた。
だからロイが病魔に侵されて以来、ここに来ることが出来なかったのだ。
みっともなく取りすがるであろう自分がどうしようもなく情けなかった。

これほど多くの人間の死を目にして、実際に数え切れないほどの人間を殺めた自分でも。
近しい人間の中で最も長く生きたロイの死はこれほどまでに耐え難い。

だが今、ロイのおかげでこうして醜態を晒さずにいられる。
彼の覚悟によって。


「ホント、あんたって・・・さぁ・・・。っ肝が据わってる、っての?・・・バカみてぇ・・・。」


何だそれは。誉めているのか貶しているのか。


「うん、両方だよ・・・。両、方・・・。」


すっかり泣き笑いになったエドワードは、ロイの頬に手を添えた。


「あーあ、しわくちゃになっちゃって。色男が台無しだな。」


だろう?無残なものだ。


「・・・また、会えるよな?」


私の言葉を信じられないか?


「・・・いや、信じるよ。あんた出来ない約束だけはしたことないから。」


・・・そうか。・・・・・・眠いな・・・。疲れたから、少し、休む・・・。


「ああ、オツカレさん。ホントに・・・お疲れ。」









*************








ロイ・マスタングはベッドに横たわり、天井を見上げていた。

・・・と言っても、現在の目の状態ではただぼんやりと灰色の空が広がるばかりだ。


窓が開いている。

乾いた秋の風がカーテンを揺らしていた。








なぜ、こんな夢を見るのだろう。
なぜ、こんなにも涙が出るのだろう。



(あれが、イアン・フィアボルト?)



魂が転生する際には、「世界」によって過去の記録が一斉に書き換えられ、歴史上の記録には別の名前として残り、名前は現世の魂に受け継がれるのだとエドワードから聞かされている。アメストリスの歴史に燦然と輝く、イシュヴァールの英雄にしてアメストリスの双璧の一人であるイアン・フィアボルト。それが、自分の前世であるらしい。

だから自分が生まれるまで、歴史書の「イアン・フィアボルト」という部分はすべて、「ロイ・マスタング」という記述であった、ということになる。しかしロイにとって彼はイアン以外の何者でもない。自分の前世と言われてもどうもピンとこないのだ。なにしろ歴史上の偉人であるのだから。



今見た夢は、イアン・フィアボルトの最期だろうか。



これほど静かなのだろうか、死というものは。

ロイは涙を拭い、自分の手を見た。
両手を持ち上げるとき、妙な重さに驚いた。
それもそうだ、つい先刻まで自分は瀕死の老人だったのだから。

それは、紛れもなく自分の手だった。
23歳の、弾力ある肉と水分を蓄えた皮に包まれた、ロイの手だ。

(この手も、いずれはあのようになるんだろう。)

そしてまた、このネームタグを握り締め、エドワードに託すのだろうか。


きっとまたすぐに会いに来る、と約束して。





それともあれは・・・。



(私の最期・・・?)



乾いた秋風は、ロイの黒髪を揺らしていた。



今にも神出鬼没な黄金の光の粒をどこからか引き連れて来そうに思えた。





湊渉様からいただきました。切ない・・・! けど、妙に惹きこまれるお話ですね。
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