5.金の鳥篭 ロイが生まれた日を、よく覚えている。 竜の血脈に、焔の錬金術師が生まれ変わる日を、どれほど待っただろう。 ほんの一瞬のような気もすれば、永い時だったようにも思う。 アレに名を授けた、アレの愛し子。金色の子どもにつながる、ただひとりの人間。 ロイが竜として生を受ければ、外から気配をたどることができる。 それを目印にこの世界にはいりこみ、アレのもとに向かえる。 澄みきった秋の青空。 生まれたばかりのロイをこっそり抱いて、その魂の真奥から〈金の賢者〉の姿をひき出した。 金糸の髪、意志を秘めて輝く琥珀の瞳。 ロイにだけむける、はじめるような笑顔。 永遠の命ゆえの、翳めるような憂い。 ただ、エドワード・エルリックの姿だけをのこして、ロイが育つのを待った。 『はやく大きくなれ、焔の少年』 『お前の記憶に、金色の面影があるだろう?ロイ・マスタング』 再開したロイはまだ幼い少年で、早すぎたかとも思ったが、もう待つのには飽きていた。 驚愕に凍りつく少年の、切るような視線を思い出し、シルバはひとり微笑んだ。 『金の賢者に会いたいか?』 迷いもなくうなずく潔さを、シルバは好ましく思う。 俤だけをいだいて、それだけで愛しているのだろうか。不思議なことだ。 『彼は、この世界にまだ生きている。錬金術師になって、彼を捜せ。それが一番、短い道だ』 『錬金術師?おれがなるのか』 『そうだよ。お前の前世も、その前も、優秀な錬金術師だった。彼を見つけたいのなら、彼を思い出したいのなら、わたしの手をとりなさい。お前の竜の血を、覚醒させる。それでたぶん、すべての記憶は甦るだろう』 『わかった』 表情も変えずに手を出すロイに、シルバは目をひそめる。 『ほんとうにわかっているんだな?お前の前世も、その前も、その前も、戦いに彩られた、血塗れの人生だったよ。英雄とよばれるほどに。その記憶をうけとめる覚悟があるのかい?』 『そんなものは必要ない。覚悟なんていらない。おれの望みは、あいつを思い出すこと。あいつに会うこと。それしか望んじゃいない。さっさとしろよ』 覚悟など、とうにできているか。人間とはなぜこんなにも儚いくせに、熱い命をもっているんだろう。 アレがこの世界に居続けるのは、この熱のせいなのかもしれない。 人間たちの、燃える命の熱。我々にはないものだ。愛してしまったのか。愚かしいことだ。 それが勝手だと、ただの傲慢なのだと、なぜわからない。 見えないのか、見たくないのか、なぜ信じてやれないのだ。 なぜ手放してやれないのだ。 シルバはロイのちいさな手をとると、彼の血にひそむ竜をよびだした。 世界の外の、太古の焔をつくり、ロイの体に送りこむ。 『ウッ』 ロイがうめいて、崩れ落ちる。耐えられないほどの熱に、地面をかきむしっている。 竜は、この世界の外の生き物だ。我々の同胞の血、おなじ力。 竜の血を、焔の洗礼を耐えられなければ、ロイはこの場で死ぬ。 『死ぬなよ』 助けてやることはできない。このロイが死ねば、また長いときを待たねばならない。 ふたりの絆がなければ、とても見つけることはできない。世界をしらみつぶしに調べるなど不可能だ。 『死ぬなよ。ロイ・マスタング』 アレを連れ帰らなければならないのだ。一刻も早く。 あの大馬鹿者に会わなくてはならないのだ。はやくみつけなければ。 「ふふふ」 背中で忍び笑いをもらすシルバに、ロイがちらりと不信げな目をむけた。強風に銀髪があおられている。凍るような風をものともせず、楽しげだった。 「ああ、初めて会ったときを思い出していたんだよ。ロイが生まれた時、再開した時・・・かわいかったなぁ。まだ小さくて、一途なところは、あの頃と変わっていないけど」 〈・・・ずいぶん人間くさくなったな。あんたは〉 竜の吐息のような声を、シルバは正確に読んだ。 「たしかに、そうかもそれないな。女のフリをするのはけっこうおもしろかったよ。この姿とももうすぐお別れだと思うと、少々感慨深くもある。ああようやく、あのバカに会えるんだな。面倒をかけるやつだ。金の賢者にもロイにも、迷惑をかけてすまないと思っているよ」 〈あんたが思っているより、人間はずっと強く、したたかだ〉 「そうだろうとも。そうだからこそ、アレもここまで人間にいれこんでいるんだろうさ。ただ弱いだけなら、どうということもない。人間とはおもしろいなぁ。アレの気持ちが、ちょっとわかるぞ。あの猟犬みたいな男、ハボックだったか。わたしのことみぬいているのに平気そうに見せて、なんだか笑えたよ」 ニヤニヤ笑うシルバに、ロイがため息をつく。 〈もうすぐつくぞ〉 砂漠と、森の狭間。 埋もれるようにして、石でできた遺跡のようなものが見える。 「あそこだ。気配を感じる」 ようやく、会えるのだ。 人間の姿に戻ったロイは服を身につけ、シルバと共に遺跡の中を歩いていた。気配を手繰りながら進む。ふたりとも夜目が利くので、灯りは必要なかった。 「ずいぶん入り組んでるな」 「ああ。でも、たぶんもうすぐだ」 苔むした通路の先には、ほのかな、金色の光。 「やっと・・・!」 ロイが駆けだし、シルバはその後ろをゆっくり歩いていく。 「なんだこれは?エドワード・・・・」 中空にうかぶ、金色の鳥篭。 否、鳥篭ではなく、これは・・・ 「三次練成陣か!?」 その中には、目を閉じた小柄な人影。白い肌に、練成陣の淡い金の燐光が、影を落としている。 人形のように白い面。金の瞳は閉じられ、エドワードの魂を感じることができない。 流れる長い髪は、金色の滝のように足に絡みつき、部屋はどこまでもどこまでも、ただ、静かだった。 「エドワード、エドワードだな!ようやくたどり着いたのに・・・シルバ、これはいったい?まさか、死んでいるなんてことは」 泣きそうな目でエドワードを見上げるロイが、あせった様子でシルバに問う。 暗緑色の樹が、鳥篭に絡みついていた。黒々とした葉が不気味で、ロイは樹をにらみつけた。 「死んではいない。魂が宿っているよ。もしかして、封印されてるんじゃないか?この練成陣自体は、あの発掘した小さい陣と連動しているようだな。これと国中に設置した陣で、世界のことを把握している、というわけか。エドワードを封印してなお、世界の目として使っているのか?」 6.ずっと、ずっと 『申し訳ありません。お助けしたくて、ずっと、あなたが平和をつくる、のだと。守らなければ、と、わたしは・・・閣下・・・』 消えていく、純雪の錬金術師の命の火。その手を握るロイの、悲痛な叫び。 『サラエ!』 ふるえる拳。 『エドワード!なぜなんだ!』 なぜなんだ。 なぜ、なんだろう。 ロイ、オレはずっと考えていたんだ。永遠の命と人ならざる力を持つオレが、世界にかかわるべきなんだろうかと。あんたに、かかわっていいんだろうか、と。 ずっと、ずっと、ずっと。 平和になればいいと思っていたよ。みんなが、幸せに暮らせるようになればいいと。そう信じて、「世界」のことばに従ってきたけど、この世はずっと、戦いであふれている。 人間は戦う生き物なのかな?それとも、オレが間違っていたのかな? あんたはオレにかかわるかぎり、世界の根幹にかかわる争いからのがれられない。でもそんなんじゃ、あんたの人生がそんなんじゃ嫌なんだ。 ロイ、幸せになって。 人間として幸せに生きる姿を、どうか見せて。 そう願っていたのに、やっぱりあんたは、いつだって戦いの真ん中にいる。人間が好きで、大好きで、あんたは強くで、誰も見捨てられないから。 戦うあんたの、傍らに立ちたかった。でも、オレが会いに行くことで、取り返しのつかないことになりそうで、怖くてしかたなかった。だから、サラエがあんたの盾に、妻にになると告げた時は、ほんとうにうれしかった。強いあの人がいれば、あんたはきっと大丈夫だ。 でも、さみしくて。 さみしくてさみしくて、会いたいよ。ロイ。 でも怖いんだ。どうしたらいいか、わからない。 『エド・・・泣かないで、エド』 リーフの懇願するような声に、エドはぼんやりと顔をあげた。 『リーフ・・・?』 『エド、絶望しないでください。泣かないでください。あなたが哀しいと、わたし達も哀しいのです。愛しい子』 『リーフ・・・もうオレを、解放してくれ』 『嫌です、できません!そんな・・・あなたは永遠にわたしたちのそばにいるの。どこにも行かないで。あなたは「世界の目」、永遠にわたしたちのものなのだから』 幼い少女の姿で、エドワードにすがりつくリーフ。苦しみにゆがんだ顔で、愛情で縛るように。 『リーフ・・・オレは、もう耐えられない。世界の目は、他のやつに譲ってくれ。人間には、永遠は重すぎる。リーフ、オレはもう、魂が擦りきれてしまいそうなんだ。ただの人間に、戻りたい』 『ただの人間に戻って、あの人のところに行くつもりなのね!?ロイの、焔の錬金術師のところに。そんなの許さないわ・・・』 リーフの緑の髪が風に吹かれたように逆立ち、エドは金縛りにあったように動けなくなる。 『リーフ!どういうことだ?』 『エド、どこにも行かないで。愛しい児。ずっと、ずっと、わたしたちのそばに』 最後にみたのは、きらめく金色の檻。昔、戯れで作った三次練成陣・・・その中に囚われた、自分の姿。 『どこにも行かないで。そばにいて。いなくならないで、エド、エド』 中空にうかんだ金の鳥篭を前に、シルバは深いため息をついた。 「やれやれ、最悪だな」 美女は美しい銀髪をかきあげると、まっすぐ鳥篭に、それに巻きついた樹へと歩み寄る。 「ロイ、ちょっとさがっていて」 人に与えられた名〈リーフ〉に宿る性質を使って、樹に変幻している。シルバは注意深く暗緑色の樹から〈名〉を剥ぎ取る。とたんに、樹の輪郭が揺らいだ。注意深く、リーフとよばれた部分から、この世界全体に散った全体をたぐりよせる。 「とんだザマだな。人に執着して、縛り、封印するとは、まったく情けない奴よ。名を捨ててまで、この世界に来たのに、結局名が、あんたの致命傷になるんだな。ロキ、この裏切り者!」 そう叫ぶと、銀色に輝く手のひらを、樹の幹に押しつけた。 「いいかげんにしろ、この大馬鹿者!」 ぶわっっと大風が吹き、ロイは目を庇った。 ミシミシとおそろしい音がする。風が竜巻のように、吹き込み、一瞬止まると、勢いよく吹き出してた。 ようやく風が止み目をあけると、そこには見知らぬふたりの姿。 樹は、あとかたもない。 「あんたたち、だれなんだ?」 そこにいたのは、長い銀色の髪の美丈夫。そして、シルバと呼ばれた美女と瓜二つの女。緑色の肌に、流れる緑の髪。 それは、リーフが育った姿、そのままだった。 「ようやく目が覚めたか、ロキ。迎えにきたぞ。手間をかけさせる」 ロキと呼ばれた女は、ぼんやりとよんだ人物を見やった。 「トール・・・?あなたなの?」 「ああ、帰るぞ。この世界には干渉しないという誓いを、よもや忘れたわけではあるまい。人間に手を出してどうする。なぜ、好きにさせてやれないんだ」 「だって、放っておいたら殺しあって、きっと滅んでしまう。だからわたしは!」 「それでこのザマか。結局、戦いを止めさせることなどできない」 女は必死にいいつのる。 「でも、ようやく平和になったのよ!」 「自分のおかげだとでもいうつもりか。大馬鹿者が。努力したのは人間、戦ってきたのは人間だ。お前のおかげじゃない。滅びるというのなら、滅びるにまかせてやれ、ロキ。人間を愛しいというのなら、正しさだけでなく、過ちも愛してやるんだな。そして、愛しているのなら、手を放してやれ」 銀髪の男は、練成陣に手をさしのべる。とたんに陣はガラスが砕けるような音をたてて粉々に砕け散り、その胸に気を失ったエドが落ちた。 「エド!」 走りよるロイに、男はエドを渡す。 「じき、目を覚ます。わたしたちがこの世界を去れば、ふつうの人間に戻るだろう。ごくふつうの、ただ一度の生を生きる人間に」 ぐったりとしたエドを、ロイは抱きしめる。流れる金の髪が、ロイの手に、足に、絡みついていた。 「行くぞ、ロキ」 ふたりの後ろに、あらわれた扉。天を貫くように高く、月のない夜のような漆黒。 彼らは神なのだろうか? 世界の外側からきた、神様なんだろうか? 「あんたたちは、もう来ないのか?」 「扉を壊したいか、ロイ」 ふと男が尋ねた。 「もう来ないでほしい。エドみたいな人間をだすのは、ごめんだからな。おれたちの運命は、おれたち自身で決める。扉を壊せば、確実に来なくなるのか?」 「ああ、そうだ。でも、そのためにはロイ、お前が、人間には背負いきれないように重荷を負うことになるぞ。そこの、金の少年のようにな。耐えられるのか?」 エドと同じような、重荷を負う。 「ああ、い」 「ダメだ、大佐」 ふるえる睫毛。その下に隠された、琥珀の瞳。 まっすぐ、ロイを見ている。 「ダメだよ、ロイ。そんな風に犠牲になるなんて、絶対にダメだ」 「エドワード・・・!」 ロイは黄金を抱きしめる。どれほど、この存在を、求めていたか。涙が止まらない。 「エドワード!」 ああ、なんて、あたたかい。 このぬくもりだけ、求めていたのはずっと、この存在だった。 「エド・・・」 7.にんげんの子供 「ロイ・・・」 エドが震える手をのばして、ロイの頬の涙をぬぐった。その指の感触は、昔とすこしも変わらない。 「ダメだ、ロイ。ロイが犠牲になるなんて、絶対に」 「エド、わたしはもう、お前ひとりに、重荷を背負わせたくないんだ。お前が苦しむくらいなら、自分が苦しむ方がずっといい」 エドワードは泣き笑いの顔をすると、諭すように告げる。 「なあ大佐、あんたそうやって、苦しいことを一人で引き受けるつもりかもしれないけど、それを見ておれがどう感じるかなんて、全然考えてないんだろう?俺は苦しいよ、ロイ。あんたが苦しんでいれば、おれも苦しいんだ」 あんたが苦しいのなら、おれも苦しい。 エド、それは、 「わたしもずっとそうだったよ、鋼の。君が苦しんでいるのを見ていて、ずっと、つらかった。君を助けることもできず、君をひとり残して去らねばならなくて、好きでいることしかできなくて、哀しかった」 好きでいることしか、できなかった。 君をひとり、永遠に取り残すことしかできず。 君をひとり、孤独の淵に放りだして、記憶を、思いを置きざりにして。 凍るようだった。愛していたから。 シルバが、重ねて問いかけた。 「いいのか、ふたりとも。扉が開いたままでも、我らは一向に構わない。もちろん、再び扉をくぐるものがでぬように、力を尽くそう。そもそもロキのしたことが、違反だったのだ。われらは人間に手を出さない。在るがままにあるようにすると決めたのだからな。ただ、我が力を受け扉を壊すならば通路は閉じ、二度と訪問者はないだろう。そのかわり、受けた力は消えない。力を受けとれば、「世界の目」と同じように、永遠の命と膨大な力を得ることになるだろう」 シルバの伸ばした手には、光を放つ大槌がにぎられている。小さな稲妻を放つその槌は、直視できないほどの力を感じさせた。 永遠の命と、莫大な力。 「シルバ、いやトールか。そっちの方がよほど、人間には有害だよ」 ロイが苦笑して答える。 「俺がそれを受けても、永遠に疲れて、いつか壊れてしまうかもしれない。壊れて、狂って、人間を、世界を害そうとするかもしれない。あんたが言っていたように、人間は強い。だが、人間は、永遠には向いていない。神には、向いていないんだ。俺たちはいつまでたっても、人を超えるほど偉大にもなれないし、人でないものにはなれないんだ」 エドはロイの言葉にこっくりうなずくと、シルバに続けて言った。 「だからいいんだ。扉はそのままで。もしあんたたちが再びこの世界に来ても、おれたちの子孫が、きっと自分たちでなんとかしてくれる。おれはそう信じるよ。トール、あんたがリーフに言ったことは、そういう意味なんだろう?人間を愛するのなら、手を放してやれって。おれたちは自分たちの関わったことすべてを、この世の終わりまで引き受けることはできないんだ。短い命の間で、生きて、ただ生きていかなくちゃならないんだ。なあリーフ、おれは「世界の目」として永遠を与えられて、やっぱりつらかったよ。だれもがうらやむ永遠のはずなのに、苦しくて仕方がなかった。大事な人が逝ってしまうから悲しいのだと、独り残されるからだと、そう思ってた。でも違うんだ。おれたちは、命なんだ。生きて死ぬ命なんだ。そういう風にできていて、そういう存在で、今一瞬一瞬、せいいっぱい生きて生きて、生きぬいて、いつか死ぬ。それで十分だったんだよ。大事なのは永遠じゃなかった。永遠を手に入れたおれは、一番大事なものを失ってしまっていた。時間はおれの中で凍りついて、なにもかも失ってしまったんだ」 エドは涙をこらえるようにきゅっと目を閉じると、次の瞬間、太陽のような笑顔をみせた。 「でもリーフ、おれはリーフが大好きだよ。おれのことを好きでいてくれたリーフを、長い間友達だったリーフを、ほんとうに大好きなんだ。リーフがこの世界からいなくなっても、それは変わらない」 エドワードの笑顔、宝石のような、その言葉。 リーフは、いやロキは、長く艶やかな緑の髪をかきあげ、せいいっぱいの笑顔をエドに向けた。 「ありがとう、エドワード。わたしの愛しい子。名前をくれたこと、いっしょに過ごしたこと、永遠に忘れないわ」 ぽろりと、エメラルドの涙を流して。 「ありがとう、愛しいエドワード。ありがとう。そうして、ごめんなさい。ずっと、ずっと、縛りつけてしまって」 緑のロキは、エドを抱きしめると、祝福するように額にキスをした。 エドはぐらりと、ロキの胸にたおれこむ。 「さあ、これでまた、あなたは独りの人間よ。世界とつながりもなく、神がかった力もない、死すべき、人の子。孤独で不自由で、それゆえに美しい、ただ一度の短い生を生きる、人間の子供よ」 エドは、独り、世界に立ちつくす自分に気づいた。 心で問いかけ、応える声もなく、撃たれても平気な体もなく、思いのように自由だった力もなかった。 ただ、この世界に、独り、無力な人間として。 暗闇の中、なんという孤独だろう! 「エド・・・!」 ロイが後ろから、エドを抱きしめた。熱い涙が、エドの首すじをぬらして胸に流れる。 ロイとふたり、もたれ合うように立っていた。 二本の樹のように。 シルバは、秀麗な美貌でやさしく微笑むと、ロキの手をとり、別れを告げる。 「そうか、それでは、我らは行こう。ロイ、エドワード、迷惑をかけてすまなかった。達者で暮らせよ」 ふりむきもせず、門の向こうを目指して。 「さよなら、シルバ」 長い時をいっしょに過ごした、異形の彼らもまた、友だったのだ。 「さよなら」 永遠の、別れ。轟音をあげて扉は閉じ、砂がくずれるように消えていく。 神々は去り、人間だけが残った。 こうして長いお別れもまた、おわったのだ。 ロイはしっかりとエドを抱きしめた。 もう二度と、見失わないように。 金と黒の錬金術師は、街道を歩いていた。 馬車が行きかい、活気があふれている。 街道は東に続いている。東へ、東へ、黒い髪の人々が住む、果ての国シンへと。 「なあ兄ちゃんたち、シンに行くのか?」 日焼けした腕白そうな子供が、目立つふたり連れに声をかけた。ふたりは子どもを懐かしそうにみつめ、微笑んだ。 「ああ、どこかの隊商に加えてもらおうと思って。シンに行ってみたいんだけど、それが一番確実だろう?」 「なんだ、それならうちにくればいいよ。兄ちゃんたち錬金術師だろ」 「よくわかったな。おれたち、錬丹術をみてみたいんだ」 子供はへへ、と得意そうに笑う。 「そっちの黒髪の兄さんの手の甲、練成陣だろ?おれシンにいったことあるから、ちょっとはわかるんだぜ。隊商に錬金術師がいたこともあるし。なあ、あんたら強い?」 ロイはにやりと笑い、自信満々で応じた。 「強いさ。この国で一番な」 「じゃあ問題ないよ。護衛として来ればいい。親父には、おれから口利いてやるからさ。なあ、いっしょに行こうよ。おれ、なんか、あんたたちふたりが気に入ったんだ。いっしょに旅ができたらおもしろそうだし」 「じゃあ頼む。お前、名前は?」 「カイルっていうんだ。よろしく!」 「おれはエドワード・エルリック。よろしくな、カイル」 「ロイ・マスタングだ。道中よろしく頼むぞ」 カイルは、ふたりの足に絡みつくようにはしゃぎまわり、エドの手をにぎってうれしそうに笑った。 「行こう。エド、ロイ!」 「ああ」 「行くか」 道のむこうに、真っ赤な夕日がしずむ。 すべてが茜色に染まる。なにもかも、記憶も、哀しみも、自然のやさしい慈しみの中に、溶けて消えてしまうかのようだ。 ロイは、エドの手をにぎる。 このぬくもりが、ただひとつ確かなもの。失えないものだ。 捜しつづけたものだ。愛おしいものだ。 やさしい夕焼けに、エドの頬も染まる。 金朱の髪、金朱の瞳。 その瞳の中に、自分の影がある。 「どうした?ロイ、行くぞ」 「ああ。行こう、エド」 行こう、エド。 東の果てでも、西の海にでも、どこまででも行こう。 どこまででも、行こう。 金と黒の賢者がいた。 ふたりはずっと、ふたりで旅していた。 むかしむかし、どこか遠くに。 たくさんの冒険と、たくさんの奇跡と。 それは伝説。 それはもう、霧のむこうの、ただのおとぎ話・・・ END.
高崎ツナ様からいただきました。7話に渡って書いていただき、感謝感激雨霰。濃密な設定がホント尊敬物でした。
a book or a birdのあとがきでもう一つの終わり方が触りだけ書かれています。そちらも一見の価値有りです! ご感想もそちらでどうぞ。 最後にもう一度。ツナ様、三次作品の投稿ありがとうございました。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||