彼女は、必要最低限のもの以外何も無い空間で、ただ一人眠っていた。
桃色の豊かな髪に囲まれたその顔は、紛れもなく美少女と言っていい物であろう。
しかし今の状態を「眠り姫のように・・・」と言うには、そこはあまりにも幽冥すぎた。
薄暗く、無音の空間では、彼女の小さな寝息もよく響く。いつもと変わりないはずのその吐息の規則正しさは、何故か何かよからぬ事がおこりそうな、そんな予感を助長させたのだった。
こんな日常 1
「キラ先輩!」
「ルナマリア?」
大慌てで自分に向かって来る少女を目にとめ、キラは彼女を待つべくその場で停止した。
「よかった、見つかって! キラ先輩っていつも神出鬼没だから・・・!」
長い距離を走ってきたのだろうか。頬が赤く息が荒い。
胸に何かを大事そうに抱え、息を整えようと猫背になった背を、キラは優しくさすってあげた。
当然だが、そこら辺にいる男共とは違い、彼の手はただ労わりだけを持って彼女に触れている。さすられている方も、それをちゃんとわかっていた。
ちなみにそれは、彼の自他共に認めるフェミニスト精神の一端だった。
そう、ただ優しさから来る行為だとはちゃんと理解していたが、それでもルナマリアは頬が染まるのを止められない。
しかし憧れの先輩が自分を労わり、心配してくれているのだ。それも仕方が無いことと言えよう。
「・・・・・・・落ち着いた?」
ルナマリアの息が漸く整うと、キラは穏やかに笑いながらそう問うた。
苦笑するでも、ましてや見下した顔をするでもない。ルナマリアのせいで突然足を止められてしまったというのに、嫌な顔一つしない彼が好ましかった。
「大丈夫です。すみません。」
慌てて非礼を詫びて、頭を下げようとする。しかしその動作の途中で半ば忘れていた紙袋の存在に気づき、ルナマリアは頭を下げようとした力を、紙袋の取っ手を握る手の方へと移し変えた。
ついでに彼だって頭を下げられるよりは、早く用事を終わらせてしまった方が嬉しいだろうと言う事も考慮して。
「あ、あの!! キラ先輩、受け取ってください!!」
その溌剌とした声とは裏腹に、おずおずと差し出されたのは、先ほどから彼女が大事そうに抱えていた紙袋。
それを渡したくてココまで走ってきたんだな、と瞬時に判断したが、キラはそれを受け取ろうとはしなかった。
「ルナマリア?」
キラには、どうしても守りたい約束があったのだ。それを彼女とて知っているだろうに、その約束を破らせるような行為をする。その事に、僅かに困惑してしまった。
眉を八の字に下げて困っているその様子は、やけに庇護欲をそそってくれる。それもまた彼の魅力の一部なのだろうが、ルナマリアはそれに見とれるよりも、早く手の中の物を受け取ってもらいたくて必死だった。
だってもう、心臓が破れる位にドキドキ言っているのだ。紙袋を渡したら脱兎の如く走り去り、どこかの山脈に向かって心のままに叫びたいさえ思ってしまう。
そんな彼女の内心を知ってか知らずか、キラはやはり困ったように、そして申し訳なさそうに眉を下げていた。
「ルナマリア。僕が一方的にだけど、ラクスにした約束を知ってるよね?」
「はい、有名ですから。」
ところで、彼らは同じ高校に通い、共に陸上部に属していた。
それ関連でこうして普通に話す事が出来ているのだが、実はそれ以外にもに彼らには繋がりがある。
それは、近隣の学校でも名高いゴールデンカップルの片割れ、ラクス・クラインの存在だった。
ルナマリアは彼女の従姉妹にあたる血縁で、キラは何とそのゴールデンカップルのもう一人、つまりラクスのボーイフレンドであるのだ。
彼らはその卓越した容姿と仲睦まじい様子から、本当に多くの者達から注目を集めている。
だからこそ彼らにまつわる話は、何でもかんでも有名になってしまうのだ。
そして今回キラが言っているのは、彼氏持ちなら羨ましい、男なら誰しも惜しがるだろう約束。
それは、「キラはラクス以外の女子からプレゼントを貰わない(家族は例外)」と言う、本人の言うところに寄るとキラが勝手に決意してしまったらしい内容。
いつも近くでラクスを見ていたルナマリアとしては、キラが大量にプレゼントを貰って来る度ヤキモキする必要が無くなり、よかったでは無いかと言いたかった。しかしラクスはそれを却下したのだ。
けれどもキラは聞かず、彼は確かに以降女子からのプレゼントを受け取ることはなくなった。
そして彼は、女子から何かを差し出される度に幸せそうにその話をするので、今ではすっかり女子たちの間である決まり事が浸透しているのだ。
曰く、キラの幸せを願うなら、何かを渡してはいけないと・・・・。
むしろ片思い相手にさりげなく惚気られたくなかったら、始めから手を出すな、という事だろう。
それでもやはり彼に何かを渡そうとする相手が絶えないというのだから、人気のすごさが窺える。
そりゃ、容姿端麗・頭脳明晰・インターハイ優勝・穏やかな気性とくれば、誰だって狙いたくなるだろう。すでに売約済みでも、諦めの悪い奴はどこにでもいるものなのだ。
ちなみに、ラクスも似たようなものだが。
・・・彼女の場合はそういった輩が現れる際、いつもタイミングよく彼女のボディーガード又はキラが出てくるので、被害(?)は全く出ていなかった(・・・・少なくとも表面上は)。
まぁとにかく、キラは絶対に女子からのプレゼントを受け取らない。しかしそれを知って尚、ルナマリアは紙袋を握る手を、引っ込めようとはしないのだ。
「・・・・・あっ、すみません、言うのを忘れてました!!」
「え?」
「ラクスちゃんから逆にお願いされたんです。今日、キラ先輩の誕生日でしょう?」
お祝い事は、やっぱり皆に祝ってもらった方がいいから。今日ばかりは、皆の行為を素直に受け止めさせてあげたいのです。
ラクスは確かにそう言ったそうだ。
「あぁ、そっか・・・。」
「どうせラクスちゃんの事だから、ひとりでひっそり複雑そうな顔をするんでしょうけど。」
くすり、と茶化すように笑ったが、内心では少し心が痛んだ。
途端に嬉しそうな顔になったキラを見れて嬉しいけれど、それをもたらしたのが自分ではない事が少し悲しい。
「だから、もらってやってください。」
勇気を振り絞って最後の一押し。「ありがとう」とやはり嬉しそうに笑いながら言ったキラに、ルナマリアはにっこり笑って返した。
「どういたしまして。それじゃぁ私、この後部活なんで!」
「うん、インターハイ頑張ってね。」
キラも陸上部に所属していたが、すでに引退している。本来は最後のインターハイをやってから引退のはずだが、ドクターストップがかかってしまったのだと聞いた。
薄幸の美少年とは彼のことを言うのだろうか。最近は顔色がいいが、少し前まではまるで大量の血を失ったかのように真っ青な顔をしていた。病気持ちなのだという。
それでも毎日学校に来てラクスと会う(たまにそれだけしたら授業も受けずに帰る)ところを見ると、余程彼女に会わなければ落ち着かないのだろう。
なんだかそこまで思われているラクスが羨ましい。
不意に沸き起こったその感情を隠すため、ルナマリアは慌てたように踵を返したのだった。
しかし、その次の瞬間。
軸にした左足首に激痛が走ったのだ。
思わず屈みこんでしまった彼女に気づいて、キラが慌てたように声をかける。
「大丈夫?!」
「だ、大丈夫です!!」
焦ったように言い返してから後悔した。こんなバレバレの嘘、彼が見抜かぬはずが無い。
案の定キラは苦笑して、ルナマリアの前に回りこみ、膝を着く。
「もうすぐインターハイなんだよね。」
「え、えぇ。」
「こんな大事な時期に、選手に足捻らせた挙句走らせて悪化させちゃったりしたら、先輩としてダメなレッテル貼られちゃうかも。だから僕のためにも、保健室へ行こうね。」
そう言うや否や、にっこり笑って、決して強引ではない仕草でルナマリアの腕を取る。
それからまるで子どものように脇に手を入れて持ち上げられ、立たされた。その際も、捻った左足に体重がかからないよう、ちゃんと配慮しててあるのが流石である。
「おんぶもお姫様抱っこもはずかしいでしょう? 肩を貸すから、行こう。」
柔らかく、何処までも優しい瞳で言ったのは、やはりルナマリアへの配慮の言葉。
背中に添えられた手も、気づけば完全に体重を預けてしまっていた肩も、温かい。
この人が自分のものになればどれほどよいか。
そんな風に思わずには居られない。
・・・・・・・・・あぁなんて、罪深い人なのか。