とある街道を、4人の若者が馬に乗って進んでいた。

彼らは他の者達と違って比較的目的地に近いところに住んでいたため、大して急ぐ必要もない。よって馬の歩みはそう速くはなかった。

しかしそのまま数時間と進み続ければ、人も馬も疲れ始めると言うもの。

休憩する為に川のほとりに足を止め、ついでにと近くにあったお茶屋に立ち寄った。

そして団子を頼んでから腰を落ち着かせると、徐に翡翠のような瞳が印象的な青年が口を開いたのだった。



紫鬼 〜第拾捌話〜





「俺は二ヶ国で会談する予定だったのに、なんで五ヶ国一気になんて事になるんだ・・・・。」

「・・・・・今更そんなこと言われてもねぇ・・・。会談が終わったら普通に話をすればいいじゃん、二人っきりで。」


そう、アスランは当初、ジュール国王と二ヶ国だけで会談するためにシン達に親書を渡したのだ。

ついでに食料援助とザラの戦争に向けての準備が整った旨も伝えたのだが、ぶっちゃけ本題はキラの所有権についての話し合いの方だった。

しかし綺麗に無視された挙句、凶作のせいで遅れていたザラの支度が終わったと聞くや否や、開戦へと踏み込まれてしまったのである。

自国の準備が整ったので、開戦が近いことはわかっていたが。一対一で話し合う余裕がない訳でもないし、てっきり受けて立つものだと思っていた。


「てかさ、まずザラ君国と二ヶ国だけで会談して、その後再び五ヶ国を召集して・・・って手間かかる上に僕が面倒くさいじゃない。今回はイザークの判断が正しいと思うよ?」


それは大変合理的であると言えるし、何を今更不満を言っているのか・・・とキラは訝しそうにアスランを見た。

すると彼は眉根を寄せて、呟くように言ったのだった。


「いや、一応最後にもう一度牽制しておこうと思って・・・・。」

「は?」

「いや、なんでもない。」


開戦となれば、キラは「紫鬼」として盟主であるイザークの下で働くことは必須。

戦後、さりげなくそのままジュールに引き込まれたら洒落にならないので、今の内に釘を刺しておこうと・・・・ぶっちゃけ国主としての地位を使って誓約書か何かをイザークに書かせてしまおうと思っていたのだ。

それがアスランが二ヶ国で会談したかった理由なのだが、すでに悟られてしまっていたのか、それが適わなくなってしまった。

しかしそれをキラに言えば呆れられてしまうことは必須だったので、アスランはそのまま笑って誤魔化したのだった。


キラはそんなアスランを変な物でも見るかのように一瞥し、それから頬を染めてやって来た給仕から団子を受け取って、それをさりげなく観察した。

そのまま毒味までしてしまえば、店員もアスランも機嫌をそこねることなんてわかりきっているので、そこまではしない。

だがキラのそんな行動に案の定眉を寄せているアスランに、キラは笑ってそれを差し出した。


「はいはい、変な顔しない。」

「・・・・・お前は、毒味は必要ないと何千回言ったらわかるんだ?」

「はいはい、あ〜おいしい。」

「もし本当に毒が入っていたらどうするつもりだ? 俺はお前が苦しむ所なんてもう見たくないぞ。」

「て言っても僕毒に慣れてるしねぇ。あ、アスラン、食べないなら君の分もらっていい?」

「良いわけあるか!」


そう言うと同時に皿をキラから遠ざけ、そのまま一本目にかじり付く。


「あ、本当に美味い。」

「でしょ? でもさ、今回のジュール行き、よく大臣達が許したね。」


別に、アスランがジュールへ行くこと自体に反対していた者がいた訳ではない。だがそれは、護衛を何十人と従え、大臣も数人付いて行くことを前提にしての話なのだ。

しかし今回のアスランの護衛はたった3人。実際にはあと更に3人いるのだが、彼らは少し離れたところから見えないように護衛中である。


だがそれでもたったの6人。大臣という参謀もいないのだし、それは遠出をしてしかも会談に出席するにしては、余りにも頼りの無い人数なのだ。

キラが団子を頬張りながらそう問えば、アスランは串にこびり付いた団子を口で取りながら答えたのだった。


「あいつらは“紫鬼”の正体が“キラ・ヤマト”だって知ってるからな。お前が護衛と言ったら渋々ながら頷いた。それとお前、参謀役もやれよ?」

「・・・・え?」

「“紫の小姓”は外交官としても名高いからな。お前がいるならばと言って大臣達も簡単に引き下がったんだよ。」


それは、キラにとっては余りにも寝耳に水な話で。というか、そんな事で簡単に引き下がってくれちゃった大臣達にも驚きだ。


「・・・・まぁ、ほどほどに頑張るよ。」

「あぁ、期待してるぞ。大した事をする訳でもないがな。」


そう言って食べ終わった串を置いてお茶をすする。

どうでもいいが、何だか一国の国主とその(元)小姓にしては、何だかやけに行動が所帯じみている。むしろこのような場所に慣れている、とでも言うのか・・・・。

シンはステラと彼らの隣でお茶をすすりながら、そんな事を考えていた。

そしてどうやら、話の流れからキラは元々アスランの小姓であり、外交官でもあったらしい事が知れた。

シンはそんな事すら知らなかった事に少々滅入ったが、そういえば自分がキラと出会ってからまだ一ヶ月と経っていないのだという事に気付く。

時間が過ぎるのは、早いような遅いような。微妙なところだな・・・と思いつつ、シンはステラが茶を飲み終わったのを見届けて、キラに向けて言ったのである。


「キラさん、そろそろ行きましょうよ。」


そうして、彼らは再び歩み始めたのだった。







―――――会談は、滞りなく進んだ。

ややアーク女王が遅れたが、その代わり彼女は新しき武器を手に、自国の兵士もこれで対忍戦で使うことができると宣言する。

その後各自準備が出来ていることを確認し合い、伝書鳩でニ週間後が開戦だと国に伝達。

その後民衆にもその旨は伝えられたが、同盟国全てがジブリールには恨みがあるので、突然の開戦にもストライキが起こるような事はなかった。

しかも今回は忍が主体故、過剰な徴兵をされなかったのも、ストライキが起きなかった理由だろう。

そして折り返しその他の国主達も国に帰り、本格的に開戦へと動き始めたのだった。







そして、その二週間後。

後に「一夜忍戦」と呼ばれるようになる戦争が、幕を開ける。







「忍戦」と言われるようになるとあって、当然戦争の主力は兵士ではなく忍である。

何と言っても対するジブリールの主力が忍なのだ。兵士では身の軽い忍を相手にする事は出来ないから、必然的にそうなってしまうのである。


しかし五ヶ国の国家付き忍一族をあわせ、やっとブルーコスモスに匹敵する人数になったが、それでもまだ若干人数に不安があった。

何故ならば今やジブリール国民の半数近くが忍と化しているのだ、当然と言えよう。

その国民に戦いをさせるのは何とも心苦しいが、既にそんなことも言っていられない。

キラは頬を両手でペシリと叩き、深呼吸した後、自分をじっと見ていたイザークに視線を向けた。


「・・・・・・・・・決心がついたか。」

「今更だよ。僕はすでに数え切れないほどブルーコスモスを殺しているし。」


それもまた事実。もしかしたら戦争の兆しが出、あちらも訓練もまともに終わっていない子供を差し向けることがあるかもしれないが・・・・それでもキラは殺すことを厭わないだろう。


「でも、できるだけ死ぬ人数は少なくしたい。」

「あぁ。」


その為に、自分達は「頭を押さえる」という目的で動くことに決めている。

そう、文字通りジブリールの上層部・・・・・きっと今までと同じように、外で血なまぐさい出来事が起こっていると言うのに、城でのうのうとタバコでもふかしている腐った人間達を押さえる、つまり捕獲する。


―――それが、今回のキラの役目。


他の忍達は基本的に防戦に徹する。決して自分から戦いを仕掛けず、ただ迎え撃つだけして、キラが上層部を抑えて城に白旗がそびえるのを待つのだ。

それだけで、敵軍も友軍も被害を少しでも少なくすることが出来るはずだから。


「しかし、油か・・・・・。」


不意にそう呟いたイザークに、キラは苦笑して返した。


「でも、それが一番此方に被害が少なくなる。できるだけ自然に害が無いヤツをアスランが揃えてくれたから、我慢して。」

「まぁ、わかってはいるんだが。」


どうも今のイザークは歯切れが悪い。前もって知らせておいた作戦だが、やはり抵抗があるのだろう。

キラはイザークの肩をぽん、と叩き、足を動かした。







それから更に数時間後の夜、草木も眠る時間。

暗闇の中で、イザークは見張りの忍の報告を聞き、す、っと片手を上げた。

すると、途端にあちら此方で上げる松明の明かり。


「点火!!」


そう大声で言うと同時に、松明の明かりは火矢へと移り、数十メートル先の闇に吸い込まれていった。


その、次の瞬間。


火矢の落ちた所から、不自然な程の大きな炎が立ち込めたのである。

そして、火の濁流と同時に。

決して一人の物ではない絶叫と、今までは全くしなかったはずの水音がけたたましく響く。


イザークはその秀麗な顔を炎に照らされながら、キラの予測が見事に当たっていた事に、僅かに震撼した。

思い出すのは、普段からは想像が出来ないほどの、冷徹な表情を浮かべたかの人の言葉。


『ブルーコスモスは他国の忍に比べ、圧倒的に総合的な力が高い。だから自分の力を過信している気がある。』


神妙な顔で彼の言葉を聞く国主や将軍、忍一族の頭領の顔を順に見ていき、威風堂々とした様子で彼は続けた。


『故に攻撃態勢は常に“少人数”による“特攻”。計画を練ってとか小細工をしての攻撃は、絶対と言ってしてこないでしょう。
ですがとりあえずあちらも馬鹿ではないので、奇襲の形だけは、“闇夜に紛れて”になるはずです。』


今回はそんな彼らの癖を使って、出来るだけ戦わずして頭数を減らす方法を選ぶ。

美しい顔に殺気すら込めてそう言いきった彼に、場の雰囲気は張り詰め、誰も反論することが出来なかった。


そしてその結果、紫鬼の作戦通りこの火攻め作戦が決行されたのだ。


それは、ジュールとジブリールの国境線を兼ねている大河に油を流し、ブルーコスモスらが川に入水したら、その川に火を放つという物。


『特攻を好む彼らは、必ずやあの大河を生身で渡って此方に奇襲を仕掛ける。一見むちゃくちゃで不可能な話だと思われるかもしれませんが、残念ながら彼らはそれも訓練過程で何度か経験してるので、可能なんです。』


国交を閉ざしたジブリールは数年前に、ジュールと繋がっているこの大河にかかる橋を切り落としてしまった。

だからこそ、ジュールに最も短距離で侵入する為には、この大河を生身で泳ぎ渡る術を身に付けねばならなかったのだ。

そしてその愚行とも言える強行を、“紫鬼”は突いたのである。


ちなみに、五ヶ国同盟の忍達は一見効率的とは思えない配列、すなわち総力を“一塊”にして待機していた。

通常の戦争ならば頭を巡らし、兵士をいくつかに分けて挟み撃ち等、先手を打って出来るだけ自軍に有利になるように陣を引くのだろうが、特攻を仕掛けてくる少人数の忍相手にそんなことをしていたら、返って反効率的だ。

このように、五ヶ国同盟軍にはジブリールの戦闘態勢を熟知している“紫鬼”、及び非公式だが“ネオ”がいるので、こうして一般的ではないが、一番効率的な方法選ぶことが出来たのである。



イザークはそれらを思い出しながら、襲撃の第一波が全て焼け死に、流されていった事を知り、いつの間にか自分の数歩後ろに立っていたキラを振り返った。

「行くのか。」

「応。行ってまいります。」


そう一礼しながら答えた彼は、いつもの漆黒の着物に身を包み、頭に細長い紫色の布を巻いていた。

目を隠すように結ばれたそれの意味を知るイザークは、頭の片隅で「光る目と言うのも大変だな」と思ったが、それを表に出すことは無かった。

それよりもその返答の仕方は、“紫鬼”としてのモノで。

イザークは一瞬息を詰めた後、静かに吐き出して言ったのだった。


「必ず、帰って来い。・・・・・キラ。」


そしてそれは、友人に対する言葉。

キラはイザークのその言葉に苦笑した後、返事はせずに姿を闇夜に紛れさせていったのだった。







「すぐに第二波が来る!! 気を抜かず明かりを灯して戦闘体勢を取れ!! 炎攻めはあの一度だけだ!!」


キラは未だくすぶる炎と、新たに灯された炎に身を照らされ、大声で忍達に声をかけた。

そう、炎攻めは所詮一回しかできない。何故ならば下流にかかる負担も考えねばならないし、第二波のブルーコスモスだって馬鹿ではないのだから、油を流していた地点より更に上流から此方に渡ってくるはずなので。

キラは次の相手の出方を考えながら、忍達の配置や銃撃部隊に指示を出していった。


目を隠し炎に照らされ、しかししっかりとした足取りで次々と指示を出している彼は。

その容姿や目隠しの不思議さが相まって、酷く幻想的に見える。

今日初めて“紫鬼”に会った者達も、すでに一度でも会って彼の魅力に取り付かれていた者達も。

指揮官としての能力も確かな物であった事もあり、彼の指示に異議を唱える者は一人たりとも居ないのだった。



「キラさん!」


アスランの護衛をしていたシンは、そんなキラを見つけ、思わず彼に駆け寄った。

キラは目隠しをしていても見えるシンの尻尾と耳に苦笑して、彼の肩をぽん、と叩いてから顔を彼から逸らす。


そして、まるでしっかりと見えているかのように一点に顔を向け、小さく微笑んでから言ったのだ。


「・・・・・・・行ってきます。」

「あぁ・・・・、いってらっしゃい。健闘を祈る。」


それは、いつになっても変わらない、別れと約束の言葉。

アスランとそのまま数秒見つめあった後、キラはシンと同じくアスランの傍らに控えていたレイに頷き、シンの肩をもう一度叩いてその場から去っていったのだった。



その後ろ姿を見送りながら、シンは小さく呟いた。


「大丈夫かな、キラさん・・・・。」


今回、キラはジュールの忍数名と共に城に侵入を果たす。

本当はシンもレイも、もちろんステラ達だって彼に付いて行きたかったのだが、キラがそれを拒絶した。


曰く、「シン達はアスラン達要人の護衛、ステラ達は暗示が解ける可能性があるから、駄目」とのこと。


キラとて催眠術の専門家ではない。一応成功はしたが、ステラ達“エクステンデット”が産まれた研究所には専門家がちゃんといるのだ。

キラは今から、それがある城へと侵入する。しかしそのせいで、何かのはずみによって彼らに再び暗示がかかってしまえば、彼には対処しきれない。

その可能性があったため、ステラ達の為にも、キラは同行を拒否したのだった。


だがそれを理解していても、自分達より確実に質が劣るだろうジュールの忍だけを同行させるとなれば、シン達は心配せざるをえないのである。

せめて俺達のどちらかでも連れて行ってくれれば・・・・と重苦しいため息を吐くシンに、アスランは苦笑して声を掛けた。


「シン。」

「はい?」

「・・・・・キラが、心配か?」


何を今更わかりきった事を、と思いつつも正直に頷くと、彼は一瞬切なそうにため息を吐いた後、シンに向かって言ったのだ。


「・・・・行け。俺が許す。・・・・キラには命令されたとでも言っておけ。」


自分は、立場的に前線に出ることは適わない。それでなくてもアスランは忍ではないのだ。キラの足手纏いになってしまうのは避けられないだろう。

そう思い、少なくとも足手纏いにだけはならないシンに、アスランは悔しさを感じながらそう言ったのだ。


すると、シンは一瞬何を言われたのか理解できなかったように瞬きを繰り返し、レイに頭を叩かれて漸く我を取り戻した。


「早く行って来い。俺の分も頼んだぞ。」


レイもアスランの許しが出たシンの背中を押し、そう言う。

シンはまた呆気に取られながらも、今度は背中を蹴られそうになったので、走ってキラを追ったのである。







キラ達は、態々運んできた小船に乗って大河を渡ろうとしていたところだった。

速やかに作業は進められ、船が緩やかに流れ出したその時。

不意に小船が大きく揺れた。

何事か、と周囲の忍達が素早く苦無を取り出して応戦しようする中、キラはあくまでも冷静さを崩さず、船が揺れた原因の方を見もしないで言う。


「君は護衛と言ったはずだよ?」


冷たささえ滲む口調に、シンは思わず後退ったが、すぐにそんな自分を叱咤して言った。


「殿からの命令です。俺も同行させてもらいます。」


すると、キラは漸くシンを振り向いて。


「・・・・・・まったく・・・・。わかったよ、ほら、急ごう皆。」


僅かに笑ってそう言った後、他の忍達に向けて次を促したのだった。



そして、大河の半分ほどまで行った頃。

前方から20人程度の人数が川に近づいていている事に気付いたキラは、思わず舌打ちした。

それに気付いたシンも、また無言で眉根を寄せる。

未だ気付いていないジュールの忍達はそんな彼らを不思議そうに見ていたが、キラもシンも対して気にしなかった。


「足場が最悪ですけど・・・・・・・。どうしますか?」

「・・・・・・・困ったね。」


不規則に揺れる小船からの攻撃は、苦無投げしか手が無い。キラの鋼糸とて、自分の周りに人が居すぎて少々使うのは危険なのだ。

そんなことを考えているうちに、第二波と思われるブルーコスモス達はすでに肉眼で姿を確認できるようになっていた。


「苦無で応戦するしかないね。皆、自分の身は自分で守るように。」


キラはそう指示して、自らも苦無を取り出す。

そして、相手もキラたちの存在に気付き、苦無を取り出したその時。


小船の近くを、複数の空気の切り裂く音が通り過ぎていったのである。

そして、前方を見れば、なんと不思議なことに第二波と思われる数人が、すでに地に伏しているではないか。

何事だ、と思って背後を振り返ると、そこには――――・・・・。


「キラ!! 任せてっ!!」

「早く帰ってこいよ〜!」

「こっちは俺達に任せろ! 銃撃部隊、構え!!」


そう、キラの元部下達が、苦無を構えて立っていたのである。

そしてその更に背後には、からくり王国の産物、アークの銃撃部隊が。

その位置からして、たぶん前方の第二波をやったのは、ステラ達の苦無だな、と思いつつ、キラ達は彼らに手を振り、とにかく前へ前へと船を進めたのだった。


それから、すぐに何度も大きな銃声が響き渡る。なるほど、女王が自信満々に言うだけはあり、前方で大河を渡ろうとしていた者たちは、どんどん水を赤くしながら川を流れていった。


キラは内心で「マリューさん怖っ!」と思いつつも漸く川を渡りきり、地に足をつけて前方を睨む。


「向かってくる者は殺せ。向かってこない者は無視しろ。足は止めるな。ひたすら走れ。」


流れるようにそう言い、キラは振り返ってシンやジュールの忍達と視線を交わすと、徐に走り出したのだった。







ジブリール帝国国主、ロード・ジブリールはその時、熟睡していた。

だが、不意に彼の愛猫が激しく鳴き始め、目覚めざるおえなかったのだ。

そして緩慢に、不機嫌そうに目を開き、身を起こす。

すると、先ほどまでの喧しいほどの鳴き声が、ぴたりと止まった事に気が付いた。

いったい何だったんだ・・・・と舌打ちして、ジブリールは再び寝る気にもなれず、徐にベットから出ようとした。

が、しかし。


「おはようございます。暢気なものですね、ロード・ジブリール。」


立ち上がろうとしたところ、そんな声が聞こえると同時に、首元にちくりと痛みが走った。

本能的に自分の身に何が起こっているのかを悟り、ジブリールは顔を真っ青にして慄いた。

そして、ゆっくりと、自分の首に添えられている鋼の輝きを見、それから更にゆっくりと、その腕の持ち主に視線を移した。

刀と思わしき刃物を持つ青年の足元には、ジブリールの愛猫が暗闇の中目を光らせ、喉を鳴らして青年に擦り寄っているが、双方気にはしなかった。

顔から脂汗を流し、体をぶるぶると震わせ恐怖に慄くジブリールを、青年は無表情で見つめ、徐に空いているほうの手で剥ぎ取るように、その秀麗な顔の目元を隠していた布を取る。

すると顔を出したのは、青年の足元にいる猫と同じよう光る、紫色の双眸。

その人間のモノとは思えない瞳を目に入れた途端、ついに恐怖が限界に達したジブリールが、奇妙に引きつった声で叫ぶように言ったのだ。


「ば、化け物めぇ!!! 今すぐ出て行け!!」


それと同時に彼は壁際まで逃げたが、青年は追うこともせず、ただ視線をジブリールへと向けているだけ。

だがそれでもジブリールから恐怖が抜けることはなく、壁に背中をくっつけ、短い呼吸を繰り返していた。

すると、そんな彼を見、不意に青年がく、と笑い出したのだ。


「なんて無様な・・・・・・。」

「な、何だと!?」


奇妙な格好で、必要以上に大きな声を出して返す。その意図に気付かぬほど青年は馬鹿ではない。


「大声を出したところで誰も出てこない。護衛は全て殺し、貴方の重臣達はすでに始末した。・・・・・残りは、貴方だけだ、ロード・ジブリール。」


そう言って、綺麗に笑う青年の、なんと禍々しいことか。

暗闇の中僅かな月の光に照らされ、光る目を細めている彼は、すでに人間ではない何かのように妖しく、美しい。

しかし彼から滲み出る殺気は、今も尚ジブリールを苛んでいた。

そして、訪れる、最後の時。


「ですからどうぞ、あなたも死んでください。」


その言葉と同時に、瞬時に接近し、振り下ろされる刀。







「・・・・・・・・・・・・・・って、殺すわけ無いんだけど。」


キラはべ、と舌を出しながら、失神してしまったジブリールの顔のすぐ近くに突き刺さった刀を、勢いよく引き抜いた。

背後では、実はキラと一緒にジブリールの寝室に侵入していたシンが、胸を押さえて「生きた心地がしなかった・・・・」とか呟いている。

キラは勿論、ジブリールもその重臣達も殺してはいない。ただちょっと尋常じゃない殺気を振りまき、ちょっと頬と耳の肉を抉って刃をつきたてただけ。

ジブリールの幸せそうでキモい寝顔を見たとき、本気で殺してやろうかと思ったのだから、これ位で済んで感謝してもらいたいくらいだ。


―――――そう、本当に、・・・・・・殺してやろうと思ったのだ・・・・。


憎い、憎い、憎い・・・その感情の奔流に、キラは何度も引き摺られそうになった。

あの赤い髪の少女の仇を取ってやりたいと、そう強く思ったのだ。

だが、耐えた。後ろにいたシンに、自分がジブリールを殺す場面を見せてはいけないと思ったのも、彼を踏み止ませた理由だったのだろう。

キラは無意識に刀を握る手に力を込めたが、すぐにそれに気付き、そんな自分に苦笑した。

それから、何となく男の腹に蹴りを一発入れてから、シンに白旗を上げさせるように言う。


その言葉に従い、無様な格好で失神している男を一瞥すると、シンは何かを振り払うように固く目を瞑った後、部屋を出て行ったのである。


そして、シンがいなくなり。キラもまた男を感情の無い瞳で見下ろすと、新たに来たジュールの忍に彼を拘束するよう頼み、振り返ることはせずにシンの後を追ったのだった。







こうして、一夜にして「一夜忍戦」は幕をおろしたのである。

双方戦死者の数は少なく、だが、五ヶ国同盟国の圧倒的勝利という形で。







―――――――それから、数ヵ月後。


「殿、仕事です。」

趣味の鳥の世話に精を出していたアスランを、レイが柳眉を逆立てて咎めていた。


「キラさんは明日帰ってきます。戻ってきて仕事が進んでいなかったら、なんと言われるか・・・・!」


しかもそんな風に大げさに嘆く真似までする彼を、アスランはうんざりと、彼と一緒に鳥の世話をしていたステラは不思議そうに見ていた。


「わかってるさ。しかし最近お前、段々キラに似てきたな。」

「殿は段々アウルに似てきました。」


その言葉に、一瞬反応に詰まってしまったアスラン。だがステラはそんな事気にせず、レイに聞いたのだった。


「キラ、明日帰ってくる・・・・?」

「あぁ、明日からまた城仕えに戻るのだと、伝書鳩を飛ばして嘆いていた。」

「キラが帰ってきたという事は、シンも帰ってくるか・・・。ちっ・・・。」

「勿論です。」


ステラ、アスランの呟きに逐一返しながら、レイはステラを見て言う。


「ステラ、ラクス様が呼んでいらした。途中でアウルとスティングを見つけたら、彼らと一緒に姫さまの部屋へ。」

「うんっ!」

「さぁ、殿は仕事です。」


――――そこには確かに、平和で、何気ない幸せが在るのだった。







所変わって、プロヴィデンス。


「“紫鬼”、ご苦労だったな。」

「いいえ。“紫鬼”をお呼びとあらば、いつでも参りますよ。・・・今後ともどうぞご贔屓に。」


にっこり笑ってそうクルーゼに返したキラに、隣にいたシンは引きつった笑いを浮かべた。

わざとらしく「紫鬼」という言葉を強調し、意味深に笑うクルーゼの意図も、同じく言葉を強調して営業マンらしく微笑むキラの意図も、まだシンにはわからない。というか、わかりたくない。

色々とそのまま裏のありそうな会話を続けた後、漸く彼らはクルーゼに解放された。


そして、絢爛豪華な城を出、青空を眺めながら、キラは顔を綻ばせて言ったのだ。



「さぁ、帰ろうか、僕らの国へ――――――――・・・・・・。」
















伝説と言われる人物がいる。



それは、性別も、生まれもわからぬ最強の忍。



戦場で発揮する力は他の追従を許さず、誰よりも何よりも美しい。



誰もが畏怖と憧憬をこめて呼ぶその名は。



紫鬼むらさきおに





紫鬼は今も尚、国主の命を受けては闇を暗躍しているのだという―――・・・。









「紫鬼」完





(あとがき)
かなりあっさり終わりましたね。
やっぱ詰め込んじゃったせいでしょうか。この一話がかなり長くなっちゃったし、二話に分ければよかったかな?

しかし今回、戦闘シーン少なかったですね・・・・。

以降、番外編でも活動していきたいと思います。  



   
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