貴方はご存知でしょうか?
一人の気まぐれな奪還屋の事を。
彼に会うには多くのコネと金、そして手間が必要になります。
しかしもし努力の末会えたとしても、彼が必ずしも依頼を受けるとは限りません。
意にそぐわない内容なら、彼は例えどれほど高い報酬を提示されようと動かないのです。
それでも一度受けた依頼は、どんな難関でも必ずや達成させると聞きますよ。
侵入の形跡も残さず、むしろ本当に取り戻してきたのかどうかすらわからないほど、鮮やかに。
ですから既に多くの財閥や政界人が、一度は彼の世話になっているのだとか。ほら、こんな仕事をしていると、色々な意味での危険がつき物でしょう?
公に出来る仕事ではないので知名度は低いですが、彼の仕事振りは本当に素晴らしい。
えぇ、彼は何でも取り戻してくれるんです。依頼主に不利な契約書、命より大切な宝石、はたまた人質にされた娘まで。
おや、どうやら彼に興味を持たれたようですね。ですが残念、私は彼に繋がるパイプを持っていない。
名前? ・・・・名前ですか。私も彼の本名は知りませんがね。通称くらいなら知っております。
我々は、彼をこう呼びます。
「「奪還屋“フリーダム”」」
先程から語っていた若い男と、突如乱入してきた少年の声が重なった。
そんな非日常 1
「お話中のところ申し訳ありません。興味深いお話が聞こえたので。」
「いや、構わないよ。」
「あぁ、僕が誰かわかりませんか? 前回会ったときから随分と経っていますし、仕方ないのかもしれません。キーリです、貴方の甥の。」
「・・・・あぁ、随分と久しぶりだね、キーリ。」
「えぇ、お久しぶりです。」
少年が乱入するまで男の話に聞き入っていた夫人は、その親密そうで何気ない会話に我を取り戻した。
流石は若くして大手会社を立ち上げた男だ。話術が巧みでついついその世界に引きずり込まれていた。
しかし本当に興味深い話だった、と夫人は男が少年との会話に熱中していることを承知で、密かに目を細める。
話された話を吟味して楽しんでいる訳ではない。目の前の男から何かを探るように、そして知略を巡らすように。
しばらくして彼女が目を元の大きさに戻した頃、丁度男と話していた少年が夫人へと視線を向けた。
そして目が合うや否や、にっこりと笑いかけられたのだ。
「・・・・・・・・・まぁ・・・・。」
魂が魅入られる。そう思えるほど、それは美しく、性を感じさせない微笑だった。
金髪碧眼という“まさに”美少年な感じが、多くの者を魅了するのだろう。その細首に巻かれたチョーカーが、彼の魅力をより一層増しているようにも思えた。
夫人が無意識に感嘆の言葉を吐き出すと、少年はどこか恥ずかしそうに男を見上げる。
「叔父さん。こちらの美しい方に僕を紹介してくれないのですか?」
美しい方。綺麗な少年が恥ずかしがりながら言ったその響きが、何だか酷く心地よい。
夫人はうっとりと少年を見、それから男に視線を向けた。男はそれを受け、民衆受けしそうな微笑を浮かべて口を開いたのだった。
「ご紹介が遅れてしまい、申し訳ありません。
パーソン夫人、彼は私の甥でキーリと申します。今日が社交界デビューの日でしてね、どうぞ良くしてやってください。」
スラスラとよく滑る口で、彼は夫人へと隣に立つ甥を紹介する。
血縁関係者にしては、あまり似ていない。甥と叔父ではしょうがないのだろうか。
相変わらずうっとりと少年を見ている彼女に苦笑して、男はそっと甥の肩を抱いた。
「お話の途中で申し訳ありません。積もる話がありますので、失礼させていただきます。また次回もお話ししていただけたら光栄ですが。」
「えぇ、もちろんですわ。今度は甥御さんもご一緒に。」
「ありがとうございます。」
最後に綺麗な笑みを送って去っていった少年を名残惜しげに見送って、彼女は悩ましげにため息を吐いた。
夫人は、現在進行形で開かれているパーティーの主催者だった。集まったのは百余人。著名人を厳選して招待したものだ。
キーリという少年は、見覚えがないから招待客である誰かの連れだったのだろう。今度は彼宛てにも招待状を発行しなければ。
しかしそう思ったところで、ふと疑問に思う。
今回のパーティーは、同伴者の存在を許していただろうか。
一瞬先程の男に対する不信感を感じたが、すぐにそれは撤回した。あの会話からして、彼らは示し合わせてこの会場に来たわけではなかったのだろう。
それに・・・・・・
まぁいいではないか、あのような綺麗な少年と出会えたのだから・・・・。
彼女とて女である。綺麗な物を愛で、またそれを自分の傍近くに置きたいと言う欲望があった。
再び会ったらもっと親しげに話そう。そしてその次は寄り一層親密に、極親しい者のみでやるお茶会に誘ってもいいかもしれない。
母親のような、それでいて獲物を狙う肉食獣のような瞳で色々と策略を巡らしている彼女は、まだ知らない。
男の本当の甥は確かにキーリと言う名前で金髪碧眼だが、十人並みな容姿しか持たないという事を。
魂が魅入られそうになるほどの美貌を持つ少年とは、再び逢う事などない、と言う事を・・・。
*****
「パーティーなんて嫌いです。人は多いし、無駄に臭い香水の匂いで鼻が麻痺する。」
先程まであどけなく、無性的な笑顔を浮かべていたはずの少年は、眉間に皺を寄せてぶちぶちと呟いていた。
珍しく自分で車を運転している男は、そんな彼をバックミラー越しに観察している。その表情はおもちゃを前にした子どものように楽しそうだ。子どもにしては邪気があり過ぎるような気もするが。
「ならば何故君はあそこに? 流石の私もびっくりしたよ。」
そう、彼らは会う約束などしていなかった。だから金髪碧眼の姿に変装し、二度と会えないと思っていた少年に再会した時、男は確かに驚いていたのだと言う。
それを近くにいた夫人に悟らせなかったのは流石と言えよう。しかし少年―キラはそれに何のコメントも返すことなく、男の疑問に答えたのだった。
「最近、やけに“フリーダム”への依頼が多いらしいですよ。どうやら、秘めされし奪還屋の噂を意図的に流している輩(やから)がいるようで。」
バックミラー越しに視線がかち合い、キラは相変わらず微笑を浮かべている男にうんざりとしたため息を吐いた。
「それはそれは、無粋な輩がいたものだね。噂を流している者の正体は掴めたのかな?」
何を白々しい。キラは内心で毒づき、「えぇ」と返す。
男はクツクツと笑いながら車を進め、しばらくすると停車させた。それから背後部座席を振り返り、続きを促したのだ。
「それで?」
「・・・・・・・・それは此方の台詞です。」
先程犯行現場をばっちり見ましたよ。
睨むように相手を見ると、彼は艶美に笑い、キラに答えを提示するべく口を開いた。
「仕方ないではないか、私は君とは二度と接触を図るなと言われてしまったしね。それに“あの店”の女主人に伝言を頼む事もできない。随分と前に出入り禁止令が出てしまったからな。」
そう、キラの言う『奪還屋の噂を意図的に流している輩』とは、紛れもなくこの男だったのだ。
連絡を取る術がない彼はキラを呼び出す為に、仕方なくあのような回りくどい方法を取ったのだと言う。
「それにしてももっと方法があったでしょうに。
ついでとばかりにあんな駆け引きまがいのことまでやって。僕をダシにしないで下さいよ。」
思い出すのは、先程の男と夫人の会話だ。彼は“フリーダム”本人を知らない風を装っていたが、実は知っている事を言葉の端々で仄めかしていた。
夫人も見事なほどにこの男の術中にはまり、“フリーダム”に興味を示していたのだ。あのままなら後の交渉材料に使われていただろう。
呆れ。それが誰に対する物かわからないが、今キラの顔はそれ一色で染まっていた。
男はその顔をやはり楽しげに見て、彼が何の事を言っているのか悟り口を開く。
「あぁ、あれか。しかし君の登場で私の努力は全て水に流れてしまったがな。」
「当然です。ダシにされたままだと“フリーダム”の名が泣く。」
おそらく彼女の頭からはもう、男から教えられた奪還屋の存在など消えうせているだろう。彼女がこの男の顔を見るたび思い出すのは、彼の甥である“キーリ”のことだけだ。
そのように仕向けた本人はもうその事について何も興味が無いらしく、むしろ後々夫人への対応に困るだろう男を嘲笑っているようにも見える。
夫人は政界で大きな権力を持っているのだ。“キーリ”が初対面の時に会った顔とは違うと知ったら、果たして怒るか男に報復するか。少なくとも記憶違いだったかと頭を捻るだけでは済まないだろう。
だがそれも自業自得。精々その厚い面の皮を駆使して誤魔化してろ。
そんなキラの内心に気づいたのか、男が不意に苦笑した。
「悪かった、反省しているよ。」
「なら早く本題に入ってください。なんで僕を呼び出したんですか?」
*****
不吉だ。
改造しているお陰で騒音が出ない大型二輪車を走らせながら、キラは漠然とそう思った。
現在ポケットの中には一枚の封筒が入っている。先程男に渡されたのだ。
『本当に困ったときに開封しなさい。今開けても何の利益も無いだろうが、八方塞になったとき、必ず君に道を与えるだろう。』
そう言って渡された、変哲の無い白い封筒。厚みも無く、おそらく入っているのは一枚の紙だけ。
今までに男と会ったのは、片手で数えるほどしかない。普段から底知れぬ相手だ、それだけの接触で彼の内心を読み取るのは不可能だった。
けれど男は何らかの確信を持っているらしく、キラは差し出されたそれを渋々ながらも受け取ったのだ。
それが己に危害を加える為の物ではないという、証拠はない。けれどキラはそのとき、何故か彼を信じた。
受け取った方が身のためだと、直感が告げていたのである。
しかし手紙を受け取ったついでに、自白剤を使ってしまえばよかっただろうか。
何を知っているのか聞いても絶対に口を割らないであろう男に、キラがそう思ったかどうかは謎のまま。
色々と思いながら、しばらく裏道を走る。
そして人気の無い、しかしターゲットの屋敷に程近い場所でバイクを止めた。
見上げれば空には星一つ無く、満月に近い月だけが、無音の闇で存在を主張している。
「今日は月が綺麗だな・・・・。」
しかしそれまでを不吉に感じてしまったのは、何故だろうか。
慣れた手つきで顔の半分を覆う暗視スコープを装着しながら、キラはどうしようもない不安を感じている自分に苦笑した。
今からやる仕事が怖いのだろうか?
いや、違う。今更そんな感情を感じることなどない。
ならば何が怖いのだ、自分は。
自問自答を繰り返し、キラは首巻かれたチョーカーをそっとなぞった。
怖い・・・・・・・?
そう、怖いのだ。
自分の身の回りのものを、失う事が。
不安を押し殺し、キラはチョーカーから手を離して、脇に止めてある銃を手に取る。
今は仕事に専念しなければ。あの男の言葉に惑わされてどうするのだ。
そんな風に自分を叱咤してみても、不安がなくなることはない。
けれど仕事を休むことは出来ず、足を踏み込んだ。
*****
深夜、セキュリティーのコントロールを奪って人様の屋敷に侵入する影がある。
その正体は、通称奪還屋“フリーダム”。
それは高校生であるキラの持つ、もう一つの顔だった。