カラン、とドアに着いている鈴が鳴った。
お客さんか、とドアの方へ視線をやると、そこには子どもとは言えないが、大人とも言い切れない年頃の少年が立っていた。
少女めいた容姿に、細身の体。おそらくこの少年の姿を見て、あの名高い奪還屋“フリーダム”とを結びつける者は居ないだろう。
そんな事を思いつつも、他の客の目を考慮して言葉を選ぶ。
「あら、また来たの?」
未成年である彼を何処かからかっているような、咎めているような、そんな口調と言葉。
これを見て、いったい誰が自分達が依頼を受ける者と仕事を貰いに来た者なのだと気づくだろうか。
いつも通りのさりげない誤魔化しの言葉を受け、少年は笑う。
くすり、とこの界隈に似合わない綺麗な顔で。
「マリューさんみたいな美人に会うためなら、何度だって来ますよ。」
嘘だか本当だかわからないその言葉に、マリューの顔が僅かに赤らんだ。
こういった言葉には慣れている筈なのに、キラを前にするとまるで初心な小娘のようになってしまう。それは、彼に関わる全ての女性達が共通して持つ、嬉しい悩みだった。
そんな非日常 3
そんな彼らの応答を聞き流しつつ、ジュースを握り締めて一人ぶつぶつと呟いていた者がいる。
赤い髪が印象的な、きつめの美少女だった。
「・・・・・・・人魚が何よ。人魚なんてぶっちゃけ妖怪じゃない。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・フレイ、酔ってるの?」
「残念だけどお酒なんてあげてないわよ、未成年だもの。何か彼女のいる歌のプロダクションの社長さんが、『人魚をみつけた』〜とか言ってフレイちゃんの相手をしてくれなくっちゃったんですって。」
「あぁ、なるほど。」
納得しないで欲しい。内心で突っ込みつつ、自分を置いて交わされる会話に、少しばかり寂しくなった。
けれど心待ちにしていた男の登場に、フレイの地面すれすれだった気分はウナギ昇りに上昇していったのだ。
むしろ仕舞いにはそんな事、かなりどうでもよくなって来る始末。流石奪還屋、明るい気分さえ取り戻してくれたか、と内心で呟いてみたりして。
気分が完全に戻ったところで、さぁどうやって彼らの会話に乱入してやろうか、という思考に切り替える。少しでも自然に、でも彼の印象に残る仕方がよかったけど、そんな風に割り入るのは結構難しい。
しかし沈んだ風を装ったまま俯いていたフレイは、気付かなかった。実はとっくに彼女の鬱が吹っ飛んでいる事に気付き、笑いをかみ殺している美男美女の存在に。
しばらくするとマリューが気を利かせたのか、彼女が会話に入りやすい話題を提供した。
「そう言えばあの社長さん、元気かしら?」
それに好機を得た、とばかりに、漸くフレイが会話に入ってくる。そんな素直さが、まだ彼女は子どもなのだと周囲に認知させたが、当人はそんなこと知る由も無い。
「元気そうに見えたけど・・・・。クルーゼ社長のこと知ってるの?」
「知ってるわ。何度かこの店に来たことがあるわよね、彼。」
確認を取るようにマリューが視線を向けた先は、何故か未だ立ったままのキラだ。
彼はマリューの言葉に対して器用に片眉を上げただけで、明確な返事をしようとはしない。
「何、あなたも社長のこと知ってるの?」
「いいや?」
キラはにっこりと、嘗て一度だけ見た、どこか軽そうに見える笑みを浮かべて否定する。その仕草で、フレイは社長が「奪還屋“フリーダム”」である彼を訪ねたのだと気付いた。
そう、フレイは知っていた。マリューがこのバー「AA」を経営するに辺り、同時に「奪還屋“フリーダム”」との仲介業もやっている事を。
ちなみにフレイはキラの元“ターゲット”、つまり奪還対象とされていたことがあり、その後色々あってこうして彼女達と懇意にしているのだ。
そして奪還された日、通常なら消される記憶をそうさせない変わりに、複数の条件を飲み込んだ。
その一つに、「仕事に干渉することなかれ」という物もあったのだ。
だからこそフレイは、それ以上聞くことはせず、ただ少しだけわざとっぽくむくれて見せたのだった。
しかしそんな風に可愛らしく頬を膨らめてじっと見てみても、キラは大して反応してくれない。つまらない・・・というより、ちょっと悲しくなってくる。
「・・・・・・ごめんね、フレイ。あと今更だけど、こんばんは。」
「・・・・いいの、わかってる。本当に今更だけど、こんばんは、キラ。」
先程の笑みから一変し、今度送られたのは優しい言葉と優しい表情。けれどフレイが欲しいのはそんな物ではなかった。
それでも気分はまた浮上する。彼に微笑んでもらえるなら、それだけで十分という気になってくるのだ。
そんな彼女の内心を察したのか、キラがクスリと笑ってから漸くカウンター席に腰を下ろした。当然のように自分の隣に腰を下ろした彼に、何だか嬉しくなってきて、そんな所が現金だなぁと自分に苦笑する。
「・・・・・ねぇ、どう? 私の物になる気になった?」
なんとなく、けれどちょっとだけ期待しつつ冗談交じりに聞いてみた。冗談交じり、つまり大半は本気。
なのに彼は完全に冗談と取っているらしく、「残念だけど」とおどけたように言うだけだ。
続いてカウンター越しにマリューへとカクテルを注文する様は、顔の可愛さに反して何処かクールで格好いい。自分に見とれる視線に気付いたのか、彼は徐にフレイに視線を向けた。
「・・・・・毎回言うようだけど、もうとっくに日にちが変わってる時間だってわかってる?」
「・・・・毎回言うようだけど、私はあんたにだけは言われたくないわ。」
憎まれ口を叩きつつ(もはや反射だ)、「それはあんたに会えるのがこのバーだけで、しかも深夜にしか開いていないのだから仕方が無いじゃない!」と内心で叫んでみたが、当然彼には伝わらない。
けれどそれを真向から言うのもなんだか気恥ずかしい上プライドが許さないので、言えないのだ。
だからちゃんとした反論も出来ずに視線を彷徨わせていると、不意に彼の首にあるチョーカーが目に入った。
なんだろうか、何故かそれがめちゃくちゃに気に食わない。
似合う。確かに彼によく似合っているが、何だろう。・・・・毟り取りたくなってくる。
あぁそうだ。・・・・・・・・これはあれだ、あの感覚。・・・・・・・ウチのクリスティーヌ(犬)の尻尾にいつの間にか誰かのリボンが巻かれていた時の感覚とよく似た・・・・・。
そんな風に不意に沸いた感情の正体を探っていると、同じくそのチョーカーに目がいったらしいマリューが声を弾ませて問うたのだ。
「あらキラ君、そのチョーカー随分と似合ってるけど・・・・・誰かからの贈り物か何か?」
目を輝かせて、少女のように身を乗り出してそう問うた彼女は、大人の可愛さと言うものがある。
こんな大人になりたいな〜といつも思うが、それよりもフレイの意識はキラがどう答えるかに向いていた。ちなみにさきほどチョーカーに対して感じた妙な感覚は、ひとまず置いておく事にする。
もしも、彼が大切にしているという家族からの贈り物ならまだいいとしよう。許せる。けれど他の人物、あまつさえ女からだったら・・・・・!?
思わず抱いてしまった危惧に顔を引きつらせ、息を呑んで答えを待つ。するとキラはゆっくりとチョーカーの上で指を滑らせてから、穏やかに微笑んで言ったのである。
「解りますか? 誕生日プレゼントにと貰ったんです。」
穏やか、幸せ。そんな表情でチョーカーに触れた彼。それを見て、フレイの口元が無意識にワナワナと震えだした。
キラは誰から、とは明確に言っていない。けれど絶対、家族なんてものからじゃない。それ以上の感情を、キラはそのチョーカーの持ち主に抱いているのだ。
それを敏感に察してしまったフレイは、立とうとして勢い余り、椅子から転がり落ちてしまった。
けれど本人は気付かず、ただキラを凝視していたのだった。
「・・・・・・・・・フレイ? 大丈夫?」
どうしたの、と彼女の奇行に怪訝そうな顔でいながらも、紳士的に差し出された手に視線を移し。
混乱を通り越して頭が真っ白になりつつ、それを凝視して数秒。
相変わらずワナワナと震えていた唇が漸く音を紡いだ。
「あああああんたまさか、付き合ってる人いるの!?」
まさか! まさかまさか!! 確かにモテそうだけど絶対彼女とか作んないタイプだって思ってた!! だって、嘘! そんな訳!!
信じたくなくて無意識にそう呟いていき、呆気に取られた風のキラの顔へ視線を戻す。
突然の大声やら何やらで店中の視線を集めてしまったが、そんなことどうでもいい。
感情のまま立ち上がり、キラの胸元を握り締めた。本気で呆気に取られているように目を見開いた彼は、やけに可愛らしい顔をしているな、とかそんな時まで思ってしまう己が忌々しい。
「・・・・・・・・キラく〜ん、戻ってらっしゃ〜い。」
のほほんとしたマリューの言葉を聞き、漸く我に返ったらしい。キラは驚きの表情を怪訝そうな顔に変え、それから苦笑を浮かべたのである。
そして優しい仕草でフレイの指を外していき、小さく頷いた。
「うん、いる。誰よりも大切で、何よりも尊い人が。」
再び浮かび上がる、あの穏やかで幸せそうな表情。
フレイはそれを見て、急激に頭が冷えてっいった。
「そう。」
「うん。」
キラはおそらく、気付いていない。こうした奇行を見て尚、彼女の恋情の存在に。
それに気付けたのは、唯一の救いなのだろうか。
「・・・・・・・・・・私、帰る。明日学校だし。」
マリューさんお会計・・・・・キラから視線を外し背を向け、ぼそり、と呟くように言う。
しかしレジの方へと足を踏み出す前に、キラの言葉によって止められた。
「奢るよ。ゆっくりお休み。」
今度向けられたのは、慈しみの表情とひらひらと揺れる手。
・・・・そんなものが欲しいわけじゃない。
あなたにとって結局、私は妹のような存在だったのね。
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最後に小さな微笑を残して去っていった少女を見送り、長いため息を吐きながらキラは頭を抑えた。
「・・・・・・知らなかったなぁ、フレイが、まさか・・・・・。」
彼女の恋情にはちゃんと気付いてた。気付いてて尚、あのような対応を取ったのだ。それがキラなりの、優しさと拒絶の表し方だった。
流石に今後気まずいよなぁ、と嘆息する彼。マリューは内心で「あの子は案外しぶといわよ、すぐ復活して開き直る方に1万賭けるわ」と呟いておき、全く別の言葉を紡ぐ。
「いやだ、あなたまさか本気で気付いてなかったの? 鋭いんだか、鈍いんだか・・・。」
呆れた、とため息を吐いた彼女に、キラは困ったように笑いかけた。
けれど何時までもそうしているとフレイと同じく明日の学業に差し支えるので、彼は静かにマリューへと小さな箱を差し出したのである。
「贈り物です。」
にっこり。先程まで浮かべていた笑みとは全く種類の違う、仕事のときだけに浮かべる微笑を浮かべて。
「あら、悪いわねぇ。」
まんざらでもなさそうに、マリューはそれを受け取った。
箱の中身はエメラルドのネックレス。しかしそれを知る者は、彼らしかいよう筈も無かった。