どんよりとした曇り空の朝。
春真っ只中と言うのに、今日は何だか肌寒い。
けれど窓側の席に座る少女めいた容姿を持つ少年には、そんななど関係ない様子。
なにせ彼は厳しいと評判の教師の声すら子守唄に聞こえるらしく、うつらうつらと船をこいでいるのだ。
ディアッカは少し離れた席からそれを見て、隣に座るイザークに小声で話し掛けた。
「イザーク」
「・・・・なんだ?」
「キラ。」
相手にはそれだけ言えば事足りる。それを証明するように、彼はキラに視線を移して一瞬柳眉を逆立てた。
「またか。」
「また、だな。何やってるんだか・・・・。」
最近のキラは、今回のように授業中居眠りをする事が多い。普段基本的には真面目な奴だから、彼らはキラに何か起こっているのではないかと密かに危惧していたのだった。
「あぁ。夜に眠れないのか眠らないのか、それとも気分が悪いのか・・・何か言ってくれればいいものを。」
キラは悩みも苦痛も、内側に溜め込む癖がある。だからこそ心配で、何も相談してくれないのが歯がゆい。
だが、それが杞憂と言う可能性もあるのだ。本人も単に時間を忘れて夢中になっている事があるだけだと言っていたのだし。しかしそれも、彼の性格を考えれば真偽の程は非常に怪しかった。
「本当にな・・・・。」
杞憂ならそれでいい。だが、もし何か悩みを抱えているのなら。
例えだまし討ちをしようが本心を見せるような単純な奴ではないので、彼が自分から言うのを待つしかない。・・・そんな状態がとにかく歯がゆかった。
事件発生 1
「キラ、起きろ。授業はとっくに終わったぞ。」
アスランの呆れ混じりの声と肩を揺さぶる手によって、キラの意識は浅い眠りから浮上した。
つい昨日までアズラエルの件で夜眠っていなかった為、こうして昼間寝るようにしているのだが、それが友人達に余計な心配をさせてしまっている事は知っている。
けれど寝なければ健康に差し支えてしまう・・・というか、寝れるときに寝ないと数日不眠不休で働く事態になりかねないので、キラはあえて割と暇な授業中に寝るようにしているのだ。
授業は聞かなくても教科書を読めば解るし、教師には「具合が・・・ううっ」などと適当なことを言えば事足りたから、そっちの心配はない。
ただ、友人達に心配をかけてしまったことが心苦しかったが、彼がそれを表に出すようなことは無かった。
「ごめ・・・、起こしてくれてありがとう、アスラン。」
「いいよ。・・・・・“夢中になってる事”、まだ終わらないのか?」
それは、いつだかされた質問に、キラが答えた曖昧な理由。思えば友人達が珍しく昼間寝ている自分を殊更心配するようになったのは、その質問に答えた頃からだったかもしれない。
誤魔化すのは得意な方だったんだけどな・・・・と内心呟きながらも、一度懐に入れたものにはとことん甘いと言われているキラである。嘘をつくのがはばられて微妙な言い訳になってしまい、怪しまれるのは当然の成り行きだっただろう。
しかし実際に自分が夜何をやっているかなんてとてもじゃないが言えないので、誤魔化すしか手はなかった。
「大丈夫。おかげさまで昨日全部終わった。そろそろ普段どおりに戻るって。」
「本当か?」
「本当だよ。心配かけてごめんね。」
言葉尻に小さなあくびを添えてしまったのが何だか情けない。
けれどあまり気にせず、キラは大きく伸びをした。
その仕草が小動物めいて可愛らしい、と周囲に思わせているとも知らず、彼は続いて首も回してみた。
(・・・・・・なんか、嫌な予感がする・・・・・。)
先程から首筋がちりちりと粟立っているのだ。職業柄こうした勘は非常によく当たるので、無視することもできない。
しかし先程まで座ったまま寝ていたからではない、妙に緊張している身体をほぐそうとしていたのに、アスランの「親父くさいぞ・・・・?」という発言によって途中で止めてしまった。
「俺は可愛いと思ったけどな〜。」
「「ディアッカ」」
アスランの発言に意を唱えた彼は、最寄の机に腰掛けてキラの頭を撫でる。
「素敵に子ども扱い・・・・・・。」
「悪い悪い。・・・・・・まじで謝るからその握った拳をどうにかしてくれキラ様。」
こうしたじゃれ合いは日常茶飯事だった。それでもキラの心は晴れず、何かが引っかかって落ち着かない。
これは、身近な人間に何かあったのかもしれない。そう思い至り、徐に立ち上がった。
「キラ?」
「・・・・・・・・イザークは?」
いつもはディアッカと一緒に来る彼が見当たらない。どこか緊張した様子のキラに若干驚きながら、ディアッカはしっかりと答えたのだった。
「隣のクラスに辞書を借りにいったぜ? どうした、何かお前おかしいぞ?」
それには苦笑いしか返せない。アスランも不思議そうな顔をしていたが、「嫌な予感がする」と馬鹿正直に告げて余計な心配はかけさせたくなかった。
そんなとき、ちょうどイザークが返ってきた。近づいてくる彼を見てキラは再び椅子に腰をおろし、安堵のため息を吐く。
それを怪訝そうに見たイザークだったが、アスランとディアッカの気遣わしげな視線を受け、眉根を寄せる。
「なんだ」
「いや、その・・・・。」
いつもの事だが歯切れ悪いアスランを置いておいて、どこか心ここに在らずなキラに声をかけた。
「まぁいい。そう言えばキラ、ラクス嬢が欠席しているようだが、理由を知っているか?」
イザークは辞書を借りた人物―シホと言う名の女子生徒―から何故か同じ質問をされ、キラにも聞くように頼まれていたのだ。
どうやら今日はラクスが欠席らしいのだが、家からも本人からもその連絡が来ていないらしい。担任が不思議そうにそう呟いていたのを聞いて、シホも怪訝に思っていたそうだ。
しかしそれに自分と同じような反応を返すとばかり思っていたキラが、突如立ち上がってイザークを凝視する。
「・・・・・キラ?」
「ラクス、居ないの?」
「あぁ。・・・どうした、理由を知っているのか?」
「ううん、知らない」
なにか、変だ。イザーク達の怪訝そうな表情に気づいているだろうに、それでもキラはそれ以上言おうとしなかった。
微妙に重い雰囲気が漂いだしたが、突如それを破るように、キラの携帯電話が振動しだしたのだ。
「・・・・・・ダコスタさん?」
ディスプレイに表示された相手の名前を見て、キラが怪訝そうな声を上げる。
それからイザーク達に視線で断りを入れてから、彼は通話ボタンを押したのだった。
「もしもし?」
ダコスタはクライン家に仕えている人物だ。恐らくラクスの欠席について何らかの説明をしているだろうと、イザークは検討を付けた。
しかしそれにしては、何だかキラの様子がおかしい。
なにやらかなり動揺しているようで、一度携帯電話がその手から滑り落ちそうになるのを、アスランが慌てて支えた程だ。
「なん、だって・・・・・・?」
途切れ途切れに話す声に、真っ青な顔。それだけで、ラクスに何かがあったのだと気付くには十分だった。
けれどイザークも、アスラン達も何も言わず、キラを見守りつづける。
一方キラは彼らの視線にも気付かないようで、強張った様子のまま携帯電話に耳を傾けていた。
それからダコスタの言葉が一段落着いたのか、アスランの手に支えられていた携帯電話を握って返答する。
「わかりました、すぐに行きます。」
電話を切ると、彼はそれを素早くポケットにしまい、漸くイザーク達を視界に入れたのだった。
「ごめん、早退するって先生に言っておいて」
「あぁ。」
血の気の引いた顔を強張らせている彼に、いったいラクスに何があったのかなどと聞けるはずもなく。
だからこそ何も聞かずに代表してアスランが答え、ただいつの間にか纏めていたキラの荷物を彼に手渡す。
流石は幼馴染、行動が素早い。
しかしそれに感心する暇も無く、キラは一言「ありがとう」と呟くや否や更に驚くべき行動に出たのだ。
窓から下を覗き見たまではまだいい。だがその後窓際に手をかけ、若干の反動をつけて彼がした事とは。
「なっ、きききききキラ!?」
アスランのどもり声とキラのことを見ていたらしい女子達の悲鳴が、ほぼ同時に教室に響いた。
なんと彼は二階にある教室の窓から、わき目もふらずに飛び降りたのである。
慌てて窓の外を見下ろすと、キラはかなり手馴れた様子で着地し、そのまま停止せず走り出したのだ。
そもそも教室から遠い階段を下っていくよりも、窓から飛び降りた方が真下にある下駄箱に近いのは確かではあるし、彼の身体能力が極めて高いことも周知の事実ではあったが。
これに驚かずに何に驚けと言うのだ。
唖然として彼の後姿を見送り、イザークはひきつった笑いを浮かべた。
・・・・常々思っていたが、なんて非常識な奴だ。
考えも行動も予想がつかない。
けれど場をわきまえず行動するような奴ではないので、それだけ状況が差し迫っているという事だろう。
彼にそうまでさせるラクスの安否も心配だが、それ以上に。
あれほど動揺していたキラの方が、心配になった。