電話越しでも解る、これ以上ないほど自責の念に駆られていた口調。
切羽詰ったそれが紡いだのは、キラからすれば日常茶飯事とも言える言葉だった。
『ラクスお嬢様が、誘拐されました・・・・・!』
娘を誘拐された、助けてくれ。そう涙ながらに訴えてきた男達を、キラは間接的だが数多く見てきた。
しかも奪還屋という仕事に就くにあたり、周りの人へと何らかの被害が行く事も覚悟していたはずだ。
けれど、いざ身近な存在がそのような状況に陥ったのだと聞いてしまえば。例えキラでも、冷静にはいられなかったのだ。
その結果無意識に仕事時の思考に切り替わり、道とはいえない場所を疾走しながらも呟く。
「ラクス、無事でいて・・・・」
誘拐の目的はわからない。クライン家の財産かもしれないし、奪還屋“フリーダム”への牽制かも知れない。
しかし最近は自分の身元を探られた覚えがないので、十中八九前者だろう。
そんな事を考えながら、キラはダコスタの指示どおりクライン邸へと向かっていた。焦燥が頂点に達したせいか、今は妙に冷静だった。
事件発生 2
時折人様の家の屋根も伝いながら、キラは可能な限りクライン邸までの最短距離を選び、疾走していた。
お陰で通常なら車でも30分はかかるはずの距離を、彼はたった20分程度で駆け抜けることが出来たのだ。
都心であっても広大な敷地を取るその屋敷の門を前に、キラは若干にだが乱れていた息を整えていた。
それから見慣れたそれを見上げ、ゆっくりとインターフォンを押そうとしたのだった。
しかし、実際にそれを押すことはなかった。
寸前で、自分目掛けて発砲された銃弾に気付いたからだ。
瞬時にその場から飛び退き、身を低くする。こちらも銃を取り出して対処したかったが、誰が見ているのかも解らない往来でそんな事などできなるはずもなく。
音も無く発砲されるそれを培った勘で避けるだけして、防護壁になりえる物を探したが、無駄に広く長い門の前に居たせいでそんな物は見つからない。
思わず舌打ちして、キラは小高い門の僅かな凹凸(おうとつ)に足を掛けた。
それから反動をつけ、崖を登る鹿の如き動きで門を飛び越したのだ。
その間、自分が避けたせいで壁にぶつかる銃弾を見て気付いた。
彼らが発砲しているのは、殺傷能力が極めて高いとされる鉛弾などではない。
壁にめり込まず小さな音を立てて地面に落ちるそれは、先端に短い針を有する物。
彼にとっては見慣れた、麻酔銃の弾だ。
「殺す気はないのか・・・・?」
そう呟いた瞬間には、すでに彼はクライン家の敷地に着地していた。
すぐさま背を壁に密着させ、次の銃撃に備える。
その一連の動きを、しっかりと見られているとも知らず。
*****
「・・・・・・・・・・・・まさか、本当だったなんて・・・・!」
ダコスタはモニターに映る少年の動きに、信じられないとでも言いたげな表情で呟いた。
キラは今、彼の知る穏やかで利発な少年ではない。紛れも無く、裏で相当な場数を踏んだ熟練者だった。
その表情は、嘗て無いほど冷たくて容赦なく見える。そこに、普段の穏やかな笑顔は欠片も見当たらなかった。
半ば呆然とモニターを見ていたダコスタは、隣で彼の主人が深くため息を吐いた事に気付かなかった。
溜めていた息を吐き出した彼は、何処か安堵したような、それでいて何処か寂しそうに苦笑していたのだ。
*****
一方、無断でクライン家の敷地に足を踏み込んでいたキラは、それ以上射撃される気配が無いと判断し、ゆっくりと壁から背を離した。
それから、防犯カメラが必ず彼の姿を捕らえているはずだから、その内迎えがくるはずだ、と息をつく。
それにしても、いったい誰が自分のことを狙っていたのだろうか。
今は他の事に構っている余裕なんて無いのに・・・と愛しい少女の顔を思い出しながら、苛立たしげに舌打ちを一つ。
そもそも何者だ、ラクスを誘拐した愚か者は。
絶対今日中に見つけ出してボロッボロにしてやる、と決意したところで、不意に他人の気配を感じた。
しかし恐ろしく気配が薄い。恐らくはクライン家のSPか何かだろう、と検討をつけ、そちらに視線を向けた途端、キラの表情は強張ったのだ。
慌てて首を捻って飛んできた物体を避ける。
途端、先程までキラの頭があった場所に埋まったのは、今度こそ本物の鉛弾であった。
「・・・・・・キラ・ヤマト様ですね?」
硝煙の上る銃口をキラに向けている男が、無表情にそう問うた。
黒いスーツを身に纏い、襟元にクライン家の紋章をつけた彼は、明らかにこの家のSPのはず。
それが、キラの目の前に20人ほど立っているのだ。
何故名を知っているはずのなのに、常人なら避けられないはずの銃弾を自分に放つ。しかも今回は呼ばれて参じたはずなのに。
気を抜けば混乱して悪態をつきそうになるのを抑えて、キラは強張った表情のまま応じたのだった。
「はい。無断で敷地内に入ってしまい、申し訳ありません。止むを得ない事情がありまして・・・」
言いつつも、彼の手は自然な動作で自分の腰に添えられていた。
そこには言うまでも無い、彼の愛銃が固定されている。
しかし警戒した様子で応えたキラを気にした風も無く、声を発した男以外のSPも、徐に手に持った銃を彼へと向けたのだ。
次の瞬間、予告も何も無く、幾つもの銃口が火を噴いた。
言わずもがな、銃口の先にいるのはキラただ一人だ。
後ろは壁、前には屈強な男達。
彼の判断は早かった。
素早く足を踏み出しながら、腰から銃を取り出す。
仕方ないので障害の無い横に走り、ひとまず第一波の銃弾を避けつつ、トリガーを躊躇い無く引いたのだった。
「うっ・・・」
次の瞬間には、SPの数人が地に伏せっていた。
それに目もくれず、更に足を進める。しかし向かう先は身を隠す場所ではなく、なんとSP達の中心だったが。
次々と自分目掛けて放たれる銃弾を、恐るべき反射神経で避け、キラ一番近くにいた男に肉薄し、一瞬だけ動きを止めた。
横幅が自分の倍はありそうな、筋肉隆々の男を見上げて。
不意に、笑う。
「試す、つもりなんですね」
誰にでもなく呟いて、ゆっくりと腰を落とした。
*****
画面の中では、少年が軽やかに舞っていた。
そう、それは最早舞だ。ばたばたと地に伏していく男達は、その舞を彩る装飾でしかない。
余裕さえ感じるその戦い方に、畏怖さえ覚えてしまって。
数分もしない内に最後の一人が伏すのを、スクリーン越しで見ていた彼らは息を詰めてみていた。
彼らと同じく最後の一人が倒れるのを見届けると、少年はゆっくりとあたりを見渡した。
そしてある一点で視線を固定すると、それっきり動かなくなってしまったのだ。
静かに。そう、ただ、静かに立って、少しだけ悲しそうな顔で。
彼の視線の先にあるのは、クライン家の庭に設置された防犯カメラの、一つであった。
スクリーン越しに、彼と男達の視線が重なる。
思わず息を呑み、ダコスタは小さく主人の名を呼んだ。
「シーゲル様・・・・。」
「あぁ、わかっている。」
シーゲルは再びため息をこぼし、メイドの一人を呼び寄せた。
「・・・彼を迎えに行って応接間まで案内してやってくれ。ダコスタ、私たちは先にそちらへ」
「はい。」
キラの実力は、よくわかった。
身軽な身体、射撃精度、体術。どれをとっても申し分ないだろう。
シーゲルは足を進めながら、複雑な内心で苦笑したのだった。
*****
顔なじみのメイドの案内で応接間につくと、キラはまるで何事もなかったかのように自分を招いた人物に向けて挨拶をした。
―――複雑な内心と動揺を押し隠して。
「お久しぶりです。シーゲルさん、ダコスタさん。」
気付いてしまった。というより、気付かない方がどうかしている。
迎えに来たメイドが、倒れ伏す男達に取り乱す様子を見せなかったことや、今後ろで何処か恐る恐るとでも言いたげな表情をしているダコスタを見て、確信は強まった。
恐らくは門の前で狙撃したのも、敷地内で突如発砲してきたのも、シーゲルの命令なのだろう。
彼らは何処かで自分の行動を監視し、向かって来る“敵”に向けてどう対処するか観察していたのだ。
気付くと同時に、なんとも言えない気分になった。
数年前に両親を亡くし、以降懇意にしてくれた人物に殺されかけたのだ。
まるで、裏切られたかのような。
一方ではそんなはずないとは思うけど、そう思わずにはいられなかった。
何処かぎこちなく挨拶を返すシーゲルと、その後ろに控えているダコスタを見て。
キラは気付かれないようにため息を吐いた。
「ご存知だったんですね、僕が裏で何をやっているのか。」
そうでなければ、納得できない。
シーゲルは一般人相手に、銃を放たせるような人物ではないのだから。
案の定厳かに頷いたシーゲルを見て、キラは気付かれないように奥歯を噛み締める。
こんな時に傍にラクスがいてくれれば。
この荒れ狂う心を優しく宥めてくれただろう。
でも今、彼女は傍に居ない。
まるで世界に一人取り残されたような。
そんな馬鹿げた孤独を、感じずにはいられなかった。