メイドの手を断り、自分で機器の接続をしていきながら、キラは不思議そうな顔をしているシーゲル達に説明する。
「これから僕がやることは、本当は誰かに知られてはいけないことなんです。」
そう言っておきながら彼らの前で作業をするのは、偏に少しでも心配を取り除いてあげたいが為。
「だから他言無用でお願いしますね」
おどけた様に笑いながら、自信と余裕があると見せかける。
けれどシーゲルにはお見通しだったようで、苦笑された。
「・・・・無理しなくていいよ。君も相当参っているはずだ」
その心遣いは嬉しい。けれどキラは、ただ微笑み返すことしかできなかった。
むしろ今傍に人が居なければ、我を失ってしまいそうなのだと。
他者の目があるからこそ冷静を装っていられるのだと、その瞳が告げていた。
だからこそ、シーゲルもそれ以上言うことなく、無言で先を促したのだった。
事件発生4
パソコンの起動が終わり、次々とシーゲルにはわからないだろう数値の設定をしながら、キラは口を開いた。
「僕がこれからやるのは、世界中に張り巡らされた防犯又は監視カメラのハッキングです。」
現代において、犯罪防止のためにそこら中にカメラが設置されているのは当たり前である。
流石にプライペートな部屋でははずす者も多いが、今ではどんな奥地だろと、必ずや常に何十台ものカメラによって映像に収められているのだ。
大抵の奪還屋は、それを如何にうまく利用するかによってランクが決まる。キラは体を動かすよりもこちらの方が得意なので、それも奪還屋“フリーダム”が正体を知られず、鮮やかな手腕で仕事をこなしていけた事の理由であろう。
「あ、ちゃんとどこからハッキングしているのかわからないようにしてありますので。」
しかし当然、政府によって管理されているそれをハッキングするのは犯罪である。
事後承諾の形になってしまったことを申し訳無く思いながらも、シーゲルが何でも無いように「だろうね」と言ったので、思わず苦笑してしまう。
忘れていたが、シーゲルは紛れも無くクライン財閥の当主であるのだ。財政にも多大な影響を与えている彼のこと、例えハッキングの発信源が自分の家だとばれても、その事実をもみ消す事ができるのだろう。
それに、彼はちゃんとキラの事を信頼してくれているのだ。それがこそばゆくて、何だか嬉しい。
「・・・多分もうお分かりだとは思いますけど。僕はダコスタさんの言葉を元にして、彼が殴られたところからずっと、各所に設置されたカメラの映像をハッキングしてラクス達を追跡しました。」
「・・・・・過去形かね?」
その言葉ににっこりと笑い返す。
「もう終わりましたので。」
言いながらキーボードを叩いて、町の地図をディスプレイいっぱいに広げて見せた。
そして、赤く点滅している点を指差してにっこり、それはもう花も恥らうだろうほど綺麗な微笑と怒りのオーラを纏って、微笑んだのである。
「今ラクスは、ここにいます。」
車を何度も乗り換え、裏道を行使して本拠地にたどり着いたその努力は賞賛しよう。しかしそんな小細工、マリューに「電脳世界の覇者」とまで言わしめたキラには通用しないのだ。
「カメラが世界中に所狭しと存在する限り、僕から逃れる術はありませんよ」
ふふふ、と、いつもと変わらないのに何かが違うキラの笑みに、シーゲルの表情は固まり、ダコスタは思わず後ずさったとか何とか。
――しかし、腹立たしい。
ラクスを誘拐したくせに、こんなにも簡単に居場所を探られてしまうとは。
何故そんな小物のせいで彼女は怖い思いをして、シーゲル達は心を痛め、自分は神経が焼ききれるような思いをしなくてはならないのか。
(絶対首謀者捕まえてとりあえずタコ殴りにしてその後マリューさんトコ連れてって人体実験してもらって過去の汚点を穿(ほじく)り返して社会的地位も奪ってやる)
奪還の目処が驚くほど早く立ったからか、先ほどよりも精神的に余裕が出てきた。
なのに何故か固まっているシーゲルを見やり、キラはもう用は無いとばかりにパソコンの電源を切って立ちあがる。
「奪還は今夜決行します。色々取りに行かなくてはいけない物もあるので、一旦家に帰って準備してきますね」
すると、漸く固まっていたシーゲルが柔らかさを取り戻し、慌てたようにキラを呼び止めた。
「キラ君!」
「はい?」
気が急いているのか、既に何歩か歩いていた彼は振り返り、シーゲルを見た。
すると彼は例の実父に似た穏やかな微笑を浮かべ、言ったのだ。
「どうか、無理はしないでくれ。」
穏やかな微笑なのに、どこか厳しさが垣間見える口調。まるで本当の父のような、そんな響きを持っていた。
だからかもしれない。
「・・・・・努力はします。」
嘘はつけなかった。
*****
しかし、実際のところ無理をする必要もなかった。
(・・・・・誰もいない・・・・?)
今彼は、少し都心から外れた廃ビルの中にいた。
誘拐犯達は、確かにその中に入っていったはずなのに、人の気配があまりにも遠い。
映像からは最低でも4人はいるはずなのだが、皆ラクスの傍にでもいるのだろうか。
残念ながら廃ビルの中にカメラは無く、設計図から部屋割りはわかっていても、今現在何処に誰がいるのかはわからなかった。
嫌な感じだ・・・と思いつつ、一歩ずつ慎重に足を進めていく。無論その手には、すでにセイフティーを外した銃が握られていた。
(人の気配はするけど・・・・、屋上か?)
そちらの方に向かいながらも、なぜそんな所にいるのだと疑問に思う。
ラクスも連れて行ったようだが、そうならば余計に不思議ではないか。
と、首を捻りつつも警戒は怠らずに進んでいくと、途中で何故か無性に気になる部屋の前に来た。
ドアは開け放たれたまま。警戒しつつも勘の赴くままにその部屋に入った。そこは薄暗く、ベットと机と椅子など、必要最低限のもの以外何も無い場所。
キラはその幽冥ともとれる空間に無意識に眉根を寄せたが、徐にベットの方へと近付いていった。
触ってみると、まだ温かい。
「・・・・・・・ラクス、だろうな・・・・。」
勘でしかないが、確信があった。
ハッキングした映像では、彼女は眠った状態のまま運びこまれていたから、そう考えるのが妥当であろう。
「・・・・・嫌な予感がする・・・・・。」
首のあたりがちりちりしている。
決断は早かった。彼は不意の襲撃にも応戦できるように警戒し続けるのを止め、とにかく屋上へと駆け出したのだった。
*****
そして、屋上にたどり着いたキラが見たのは。
体格のよい男に恭しく抱きかかえられ、ヘリコプターへと乗せられていくラクスの姿だった。
彼女はどうやらまだ目覚めていなかったようで、何処にも外傷が無い事や、男達の様子から特に乱暴もされなかったらしい事がわかり、ほっとする。
しかしその男がヘリコプターに乗るのは最後だったようで。安堵を噛み締めるまもなく舌打ちをしてから、キラは男がラクスから手を離すと同時に握っていた銃のトリガーを引いたのだった。
しかし。
「・・・・・・っ!!」
苦痛に顔をゆがめたのは、男ではなくキラの方。
(麻酔銃が効かない・・・! プロだったのか・・・!?)
キラの放った弾は、確かに男の首筋に刺さった。しかし男は昏倒するでもなく、冷静に俊敏な動きで反撃してきたのだ。
そもそも、キラは余程のことが無い限り、実弾は使わないと言うポリシーを持っていた。クライン家で躊躇い無く銃を使ったのも、薬が効かないと解っていたシャニ達相手にナイフで応戦したのも、そんな理由があったのだ。
それは紛れも無く、事を急ぎすぎたせいでの失敗。咄嗟に急所から外しはしたが、肩に一発食らってしまった。
途端に熱を持ち、血が噴出し始めた肩に舌打ちする。そして最初の男に続き雨のごとく向かって来る銃弾を必死で避けながら、物陰に引っ込まざる終えなかったのだ。
しかもいつの間にか相手の得物は散弾銃に。リボルバーならば単発なのでなんとか動きようがあったが、何個もの散弾銃相手にそうはいかない。
「ラクス・・・・!!!」
通常なら、相手の装弾が尽きるまで待ち、装填の隙をついて反撃するのだが、今回の相手の目的は単なる時間稼ぎだ。
ヘリコプターを飛ばす準備ができるまでの時間を確保できさえすれば、それでいい。
けれどキラは早くラクスに会いたくて仕方無くて、相手の思い通りにさせるつもりなどさらさら無かった。
しかし中々、反撃する暇を与えられない。プロの癖にああも簡単に居場所は知れたのに、予想に反して動きは様になっているのだ。
僅かな違和感に眉をひそめていると、不意にバタバタという音が耳を打った。
それは紛れも無く、プロペラが動く音。
(逃げられる・・・・!)
そう思うと居ても立っても居られなくなり、ついに物陰から飛び出たのだ。
当然彼に向かって散弾の雨が降り注いだが、彼は驚くべき動きでそれを避けつづけた。
そして、あと数歩で・・・と言う時に、漸く一つの銃弾がキラを捕らえたのだった。
「く・・・・・っ!」
肩に続いて、腹に被弾。衝撃は大きく、立ち止まりこそしなかったものの、一瞬動きが鈍った。
にも関わらず散弾の雨が止むことは無く、避けるために動き続けなくてはいけない。
そしてその隙に、ヘリコプターは彼の手の届かない場所へと飛び立ってしまったのだ。
それと同じに、ドアが閉じられたことにより散弾銃の雨も止んだ。しかしそれさえ気付かずに半ば呆然と立ち竦み、顔を上げた彼は見た。
『キラ!!』
「らく、す・・・・」
いつの間にか、彼女の目が覚めていたのだ。ラクスは必死に窓からキラを見て、口を動かす。
キラ、キラ、キラ・・・・繰り返し、その言葉だけを。
あぁそう言えば、今の自分は血だらけだった。嫌な所を見せてしまったな、とどこか冷静なままの頭で思う。
何故だろうか、腹も肩も大出血しているのに、痛みを全然感じない。
ただどんどん遠ざかって行くヘリコプターを見て、苛立たしさと無力感を感じずにはいられなかった。
「・・・でも必ず、すぐに取り戻す・・・・!!」
確かに自分の失態のせいでこの期を逃がしてしまった。けれど、先ほどシーゲルに言ったではないか。「カメラが世界中に所狭しと存在する限り、自分から逃れる術はない」と。
しかしそうして希望を持った次の瞬間、世界は闇に包まれたのだ。
「・・・・・・・え・・・・・・・・・?」
比喩ではない。先ほどまで電灯などの影響で明るかった街は、今は全くの闇に塗りつぶされているのである。
まさか・・・・と思い首を巡らせてみれば、東の空が燃えていた。
こう言う時のキラに勘は、嫌なほど良く当たる。
東にある、建物。それは―――・・・
(・・・・・・発電所・・・・・・・)
“全て”の機械を機能するために必要な、奪還屋にとっても何より重要な機関。
「そ、んな・・・・・・!」
何故か未だ、非常発電装置も働いていない。
電気が無ければ、防犯カメラは動かない。監視カメラも、また。
しかもそんな物よりも、より重要な方に電気が回されるだろう。その機能が復活するのは、5分や10分後のはずがない。
その事実を認識するや否や、キラは嘗て無いほどの無力感に苛まれた。
それを助長するように、なんと雨まで降り出してくる始末。
ポタリ、と雨ではない温かな水滴が、キラの頬を伝って地面に落ちた。
それをぼんやりと見てから、次いで我に返って拳を握り締める。
「くそぉっ!!!」
勢いのまま力の限り壁を叩き、腹立たしさを少しでも軽減させようとしてみたが、やはり無意味だった。
ただ焦りと自分の不甲斐なさが悔しくて、情けなくも涙がとまらない。
追跡する手段を潰された!
誰だ、こんなあざとい手を使うのは!?
彼女の顔は見れた。でも只それだけだ。
全然足りない。もっと傍で抱きしめて、抱きしめられたいのに――・・・
不意にキラは、シーゲルに送られてきたと言うメールの一文を思い出した。
『桃色のお姫様の為なら、身を粉にして働いてくれるでしょう。』
誰だか知らないが、よく解っているではないか、と。
思わず苦笑してしまった。
しかし、何時までもそうしていられない。
出血が激しいし、雨に体温が奪われている。
ラクスを早く奪還するためにも、すぐに傷を治さねばなるまい。
そう思いながらも、キラは携帯電話を取り出した。
コールが数回もしない内に、彼は出てくれたのだ。
『キラ君かね?』
「・・・・・・はい、僕です。シーゲルさん。」
どこか期待を込めた声に、思わず返答に詰まった。しかし言わないわけには行かないので、キラは何処か感情が抜け落ちたような声のまま、言ったのだった。
「申し訳ありません、目前で逃げられました。」
『そうか・・・・・君は無事か?』
「っ、大丈夫です。」
落胆は隠せないけれど、キラの事を心から心配しているような声。それに再び泣きそうになりながらも、血の止まらない腹の傷を押さえながら嘘を吐く。
負傷したと知られたら依頼を取り下げられそうで―――怖かった。