「キラっ・・・・・キラ、キラ・・・・・!!」
信じられない、いや、信じたくなかった。
気が付いたら屈強な男達に囲まれ、ヘリコプターの中にいて。
何かに導かれるように窓から下をみたら、血だらけの愛しい彼がぽつんと立っていた。
「キラ・・・・! なんて、何て事を・・・・・!!」
共に居る男達の手には、普通の銃に見えない大きさの武器が抱えられていた。
それを見て、瞬時に目の前が怒りに染まる。
「貴方達が・・・・・!」
悔しい、何も出来ない自分が。自分のせいで傷を負ってしまったキラに、何もしてあげられない事が。
血にまみれ、泣きそうに自分を見上げていたキラの顔が頭から離れない。
暗視スコープを今日はかけていなかったから、それがよく見えたのは少しだけ嬉しかった。
それでも、ラクスの瞳からは止め処なく涙が零れた。ただ悔しくて、情けなくて。
あの時、倒れた老婆に対し何故もっと注意しなかったのかと、自責の念に駆られつづけた。
彼の事情 1
ラクスに睨みつけられた男達は、何故か困惑の表情を浮かべていた。何故「申し訳ない」やら「これで顔を拭ってください」などと言う言葉を聞かねばならないのだろうか。
小娘相手に睨みつけられても何とも無いだろうに、何だか変だ。
けれども嘗て無いほどの激情を抑えるのに必死で、ラクスはその疑問を彼らにぶつけることが出来なかった。
一言でも何か口に出してしまえば、口汚く罵ってしまいそうだ。それも罵詈雑言で済めばいいが、気付けば呪いの言葉を吐いているかもしれない。
自分の保身のためにもそれはしてはいけない事で、絶えるしかないのだ。
もしもの時のために、と護身術を習ってはいるが、それでもこの男達に敵いはしないだろう。この事態を既に想定してあったにも関わらずまんまと策に嵌ってしまい、とにかく申し訳ない。
それにしても、心配だ。
キラは自分の身体の状態を無視して動き続けるだろう。
全てはラクスの為に、無我夢中で。
それは予想ではなく、確信だった。だからこそ心配でたまらない。
そんな彼のことを思うと、きりきりと胸が痛む。今すぐ会いに行って、抱きしめてあげたい。
そう思って、次の瞬間愕然とした。
自分は果たして、どれくらいの期間この男達に拘束されるのだろうか。それはつまり、どれくらいキラと会えずに過ごさなくてはならないのだろうか。
(・・・・・怖い・・・・・・)
子どもの頃にも、ラクスは誘拐されたことがあった。
しかしその時、これほどの恐怖は感じなかった。きっと両親が最善を尽くしてくれると、確信していたから。
今回も、キラや父を信頼している点は変わらない。けれど恐ろしいのだ。
キラと、何日間も会えないと言うことが―――・・・。
好きなときに声も聞けない、最後に見た顔は泣きそうで血まみれで、心配は募るばかり。
その上・・・と、ラクスは真っ暗になった空に視線を移した。
映る物は何も無い。現在操縦士がいったい何を目印にして飛んでいるのかは全く解らないが、この闇は恐らく、誰も知らない内にラクスを何処かへと運んでしまうのだろう。
映像と言う手がかりは、無いに等しい。キラが奪還業に必要だといっていた防犯カメラも、使えるとは思わなかった。
(キラ・・・・・!)
無意識に左手を包み込み、胸元へと持ってくる。
きっと、自分が見つかるまでに時間がかかる。そして時間が進むにつれて、キラの自身を省みない行動が目立つようになるのだ。
レイや父がそれに気付いてくれればいいが、彼はそう言ったことを隠すのが得意である。本当に、心配で身が切り裂けそうだった。
はぁ、と悩ましげにため息をつくと、いつの間にかヘリコプターは運転を止めていた。目的地についたようだ。
「足元にお気をつけ下さい」
徐にヘリコプターのドアが開いたと思ったら、目の前に座っていた男が手を差し出してそう言う。
先程も思ったが、何だか妙に丁寧な扱いを受けていないだろうか。徐々に落ち着いてきたので、ラクスは冷静になろうと努め、男達を見極めるために目を細めた。
すると彼らもそんな彼女の様子に気付いたらしく、若干戸惑いながらも素早くアイコンタクトを交わした。何に戸惑い、何を確認したのかはわからなかったが、未だ取られない手を差し出したままの男は優しい口調で言ったのだ。
「ご安心下さい。私達は貴女に傷一つつけない事をお約束します」
それから丁寧にラクスの手を取り、ヘリコプターから降りるように促す。
ラクスには何が何だかさっぱりわからなかったが、男の言葉に嘘はないと判断し、密かに深呼吸して立ち上がった。
そして微笑んで、言うのだ。
「ありがとうございます」
悠然と、エスコートしてくれた男性に対して。自分は全く動じていないのだと、今更かもしれないがそう装う。
精神的に優位に立ちなさい。そうすればどのような事態が起きても、何らかの道が開けるはずだから。そう言ったキラの言葉通りに動かねば。
だからもう決して涙は見せないと固く誓い、ラクスは微笑を崩さぬままに男達について行ったのだった。
*****
そうして連れて行かれたのは地下だった。ヘリコプターが着地した建物の一階にある、隠し扉から繋がる長い階段を下りた先の地下室。
鍵付きのドアを開けてまず最初に見えたのは、驚いた事に大きな窓の外に広がる、色とりどりの魚や海草の群。
一瞬大きな水槽と面しているのかと思ったが、その奥行きの深さを見て違うと悟った。
(海・・・・・)
海深はどのくらいだろうか。お世辞にも浅いとは言えないはずの海中に、この部屋はあるらしい。
しかし何故このような場所に通されたのだろうか。見渡せば他にも貝殻やら何やら海縁の物が沢山部屋に飾られているし、清潔なベットやバスルームも完備されている。ありえないほどの優遇具合だが、しばらくここで暮らせとでも言いたいのだろうか。
聞こうと思ったがここまで自分を連れてきた男達は既に部屋を出ており、それも出来ない。部屋の片隅にある監視カメラにでも問い掛ければ反応が返ってくるかもしれなかったが、何となく虚しかったのでやめた。
(・・・・・・・・・・・・キラ・・・・・・)
部屋の中の観察が粗方終ると、やはり考えてしまうのは彼の事。今すぐ会いたくて仕方が無かったが、そう出来ないのが歯がゆい。
今何をしているのだろうか。真っ直ぐ家に帰れただろうか。レイやステラにちゃんと怪我のことを報告しただろうか。
ベットに腰をおろして、ぼんやりとそんな事を思う。
しかしその思考は、控えめなノックの音で遮られてしまった。
「はい?」
「失礼する」
そう言って部屋に入ってきたのは、黒く長い髪を持つ男だった。
面識はない。彼が自分を浚った首謀者だろうか。
視線が険しくならないように注意して、ラクスは微笑さえ浮かべて男を迎える。
「この度の所業を説明しにいらしたのですか?」
朗らかな口調だったが、内容は冷たい。男はそんなラクスに苦笑して、「それは私の口からはなんとも」とはぐらかした。
その代わり何処からか椅子を取り出すと、無礼にもベットに座るラクスの前に陣取ったのである。
「私のことはそうだな・・・ギルとでも呼んでくれればいい」
言いながら爽やかな笑顔を浮かべているが、それはラクスから見れば胡散臭い愛想笑い以外の何物でもない。
しかしそれだけで十分男が油断なら無い人物だとわかったので、正直にとっとと彼との会話を切り上げてしまいたいと思った。
しかしそうと悟らせるのは何となく癪だったので、こちらも愛想笑いを浮かべて対応する。
「わたしくはラクスと申します。では、ギル様は何をしにいらしたのですか?」
にっこりと、時にキラさえも威圧する女帝スマイル(キラ命名)に切り替え、おらとっとと吐けやコラと顔に書いて訊ねてみる。
早々に余裕そうな顔は脱ぎ捨ててしまう事になったが、むしろここまでもったのを褒めてもらいたいくらいだ。
するとギルは一瞬だけ意外そうに目を瞠り、次いで愉快そうに笑って言ったのである。
「実は私、“フリーダム”・・・いや、キラ君と懇意にしていてね」
だから彼の話をしたくて、貴女に会いに来たんです。
歌うようにそう言ったギルに、ラクスは怪訝そうに眉根を寄せた。
彼は確かに“フリーダム”の本名を知っていて、ラクスとの関係も知っているようだ。だが“懇意にしている”という話まで信用する事はできない。
しかも仮にもそう言っておきながら、キラの恋人であるラクスを浚うのか。まさか話をする為に今回のような騒ぎを起こしたわけではなかろうし、何か行動が矛盾してはいないだろうか。
そんな彼女の内心を悟ったのか、ギルは再び苦笑して言った。
「残念ながら私は、今回の誘拐事件に全く関わっていない。」
誘拐されてラクスに宛がわれたらしい部屋に着いた途端訊ねてきて、事情もちゃんとわかっているようなのに「全く関係ない」と。何を言っているのだろうこの男は。
「ここは全く関係の無い人物も入ってこれる場所なのですか?」
だからこそ若干の皮肉をこめてそう問うと、ギルは肩を竦めて「まさか」と返した。様になってはいるが、一々妙に反応が癇に障る男である。
「何を隠そう、私の親友が今回の首謀者でね。その誼でこうして貴女と話すことを許された」
「親友? そうおっしゃるのならば、過ちを正すのがあなたの務めではありませんか」
何気なくそんな事を教えていいのかと思ったが、それが後にどう転ぶかわからないので口には出さない。
その代わり正論を発した。道を誤り人一人誘拐してきた親友の行動に、こうして悪乗りするのではなく今すぐ止めるよう説得するべきだ、と。
しかし彼は何処か自嘲にも見える苦笑を浮かべると、首を小さく横に振ったのだ。
「親友だからこそ、面と向かって諌める事ができないのだよ。ここで彼の信頼を裏切る勇気など、私は持っていないのだから」
それでも、とラクスが口を開こうとしたそのとき、ギルが一端閉じた口を再び開いたのである。
「だからその代わりに少々、細工をしてみたよ」
その顔に浮かぶのは先程とは種類の違う笑み。誰かを思い出しているのか、ラクスではない何かを見ている。
「それに“フリーダム”には大きな借りがあるからね」
「・・・・・・わたくしを逃がす手伝いでもしてくれるのですか?」
例えば今自分が居る場所をキラに教えるとか。
彼の口ぶりからはそれもあり得るかも知れないと、一縷の望みをかけてそう訊ねた。しかしギルは再び首を横に振る。
ならば何をしたのだと、苛立ちを表に出さないようにと深呼吸を繰り返してから問うと、彼は相変わらずの胡散臭い愛想笑いを浮かべてこう答えたのだった。
「貴女はただ、彼を信じて待っていればいい」
あぁ時間だ、続きはまたの機会に。そう言って立ち上がる。それ以上その話題に触れるなと、彼の顔が言っていた。
だからこそ何も言えず、ラクスは去っていくギルの後姿を無言で見送ったのだ。振り向き間際の「貴女はしばらくはここで過ごしてもらうとのことだよ」と言う予想済みの言葉に、また無言で頷いて。
数秒としない内にパタン、と閉じたドアを見ていると、次いでカチャリ、という施錠する音が静かに響き渡った。
その音が妙におぞましく感じ、背中が粟立つ。思わず自分の身体を抱きしめるように身を竦めると、脳裏に愛しい彼の姿が蘇った。
(・・・・・・・キラ・・・・・・・っ)
幻影でも、それはラクスの心を癒してくれる。もう何をする気にもなれなくて、彼女はそのまま目を瞑って横になった。
だいたい、ギルとの会話は何の慰めにもならなかったのだ。その話題がキラだと言った事には一瞬心が温まったが、すぐに別の話に切り替わってしまったし。
その代わりにただ思慕だけが募り、今度は最後に見た血まみれの彼の姿が再び頭の中で蘇る。
その姿にまた涙が出そうになって。
足手まといにしかならない自分がとにかく歯がゆくて、彼に傷をつけた要因である自分をいっそ呪ってしまいたくなった。
会いたい、今すぐ会いたい。
でもどうか、自愛して。
貴方のためならば、どんな状態だって耐えられるから。